2008年12月20日土曜日

頭をアクティブにする

 木曜日は勉強会だった。発達の話で非常に面白かった。人を治療していく上では、発達という分野は絶対に必要になると思う。人が環境と相互作用してきた、学習してきた過程がそこにあるから。成人とは違いがあるが、ヒントになると思う。何もない状態から創り出す事と一度創られた状態からもう一度創り直す事は違う。それを考えていかないといけない。
 勉強会では、熱いディスカッションが目の前で繰り広げられた。自分はなかなか参加できなく、聞いているだけだった。ここ最近、セラピーについて人に話す事が少なくなっていたからか、頭の回転が悪い。人に話しながら自分の頭を整理していく事が多く、その作業をする機会が極端に減っていたように感じる。もっとアクティブに動かないと。人と人が繋がる事で新しい事が創発される。ただし、ぶつからないと生まれない。相手の意見を受け入れて、自分の考えと合わせる。それが患者さんのために役に立つはず。これからは勉強会に出たら、必ず意見を交換するように心掛けよう。
 今日も勉強会で京都へ。本日は意見交換でき、脳がアクティブに。アクティブになる事は非常にプラスの情動が働く。楽しくなる。もっと色々な人と関係を持たないと。一期一会だ。
 今回の勉強会で気付いた事は仮説、検証作業が非常に重要だという事を再認識した。評価さえも仮説、検証をしていかないといけない。「科学は仮説を立て、それの検証を行っていく事」と言われている先生がおられる。その通りだ。仮説、検証作業を繰り返し、新しいことが生まれる。どのような仮説を立てるかを他のセラピストと考えていきたい。そしてそれを検証できるように進んでいきたいと思う。

 今日は熱くなれた。アクティブになる事は、学習を促進させる。

2008年12月8日月曜日

道を開かないと

 昨日も学会でした。メインはシンポジウム。興味深い内容で、ずっと聞いていたかった。凄く白熱して各先生方のセラピストとしての熱さが伝わってきた。
 自分で進んでいく必要がある。一生をかけて治療していかないといけない。人生を治療にかける。大変な事だが、それをしないと回復できない。私は一生をかけられるだろうか。かけないといけないだろう。プレッシャーだ。そして私達の世代が片麻痺の回復に近づけるとある先生が言っておられた。心をつかまれ、揺すぶられる。「良くなる」という言葉が出てきていたが、何を指標にするかが重要だと思う。ADLで良いのか、それとも機能の回復で良いのか、患者さんの満足で良いのか。人によって考え方は違うが、私は機能を回復することが指標になるべきだと思う。治療するのだからそうなのでは?もちろんADLも見ていかないといけない。ただ、機能が回復すれば、ADLはできるはずであるし、患者さんは満足するだろう。だから一番に考える必要があるのは機能ではないかな。
 私達はサラリーマンになってはいけないと思う。給料が確保しているから安心して治療が出来るが、自分の治療が良くなければ、自分は生きていけないほど追い詰められる必要があるのではないか。何か甘えているのではないか。それぐらい死に物狂いでやらないといけないのか。
 何か自己嫌悪である。できるのかできないのか。はっきりしない自分がいる。

2008年12月6日土曜日

心が動く

 今日は学会に行ってきました。学会長の言葉が情動に響く。生物学的な「ヒト」と「人」、リハビリテーションはどちらも考えないといけない。生物学的なヒトに対してばかり見ていると、本質を失ってしまう。本来リハビリテーションは人の行為を回復し、適応できるようにしていくものである。しかし、知らない間に治療の方法や自分の治療に対しての考え方に偏ってしまって、自分の考え方に固執したり柔軟でなくなったりしてしまう。患者さん自身が何を望んでいるのか、何に目的をもっているのか、情動が動かされているのかを考える必要があるし、その上で、患者さんにメリットがあるのか考える必要がある。患者さんやその家族さんが経験したい、させたいと思っていることを踏まえて考えるべきである。しかし、そこにばっかりいってしまうとセラピストの役割がなくなる。だからメリットを考える必要がある。患者さんにとっての。
 というような話でした。凄く心に響く。そのとおりだと思う。少なくともそのような場面に遭遇した事はあるし、いけないと思いながら患者さんの意見を聞かず、自分の考え方を押し通す事もある。相互に作用していきながら、目標を設定し、治療に進まないといけない事をしみじみ感じる。
 難しい・・・でもやろうとしないと、やらないと進まない。自分が進もうとすれば、患者さんも進もうとしてくれる。そこに信頼関係があるのだろう。
 明日も学会です。楽しみです。

裏側を見る

 今日は、風邪も楽になって、体調はそこそこです。治療終了後にカルテをそそくさと書き、勉強会へ!
初めは疲れて、頭がボォーっとしていたが、話が白熱してくると切り替わる。講義後、グループになって課題を実際やってみる。目に見えるものの裏側を考えないといけない。見た目だけで、判断してはいけない事を治療を提示され考えさせられた。一定の方法が良いとは限らない。その裏の脳内過程を考える必要がある。見方を変えれば、よく似たものにも見える。否定からは何も生まれない。
 よーく考えて、見えないものを観る必要がある。見えるものの後ろには必ずあるはず。

 明日も勉強会。勉強三昧です。

2008年12月4日木曜日

風邪

 久しぶりにブログを書きます。色々あり、ブログ書くのがしんどかったんで。なかなか続かない・・・頑張ろう。
 今週始めからずっと風邪をひいてます。鼻水ずるずるになってきました。なんか体がだるくて、頭がまわらない。でも頑張らないと!体調管理は大切です。自分の体が悪いと患者さんにも迷惑をかけてしまう。
 今週末は勉強会があり、治せるか不安。楽しみですが、ちょっと休みたい。脳卒中に対してどのような方略が良いのか、じっくり考える事ができそうです。色々な考え方を取り入れたい。何が正しいか、どのような方法が最も良いのか分からない。分からないからこんなに多くの考え方があるのだろうか。主張している事を考える必要がある。それは否定する事ではなく、肯定する事でもなく、相手がいったい何を言っているのかを客観的にみる必要がある。よく文献は否定的に読めと学生時代に言われたが、そうである部分もあるが、はなから批判的に読めば、本来の内容が見えない。相手が何を言いたいか考えた後から否定はできる。なんだが、お互いを認めないと前進できない気がする。

 いつまでも真っ白な気持ちで人の話は聴きたい。自分の成長のため、人の成長のために。
 鼻がつまってしんどいです

2008年10月10日金曜日

変化することと変化しないこと

 最近、寝不足気味。生活のリズムが悪い。時間がおしい。凄く時間に追われている。でも何にもしたくない。疲れてるのかな。気を張ることが多い気がします。スケジュールが詰まっているとなんとなく重苦しい。

 今までこんな感じはなかったのになあ。



 昔は、もっとメラメラと燃えていた。昔といっても2、3年前だが・・・

 ゆとりがあって、本当に自分の好きなことが出来ていたような・・・というか自分の好きなことしかしていない。突っ走ってた。何も気にせずに自分を信じて、我が道をいく。暴走特急だったような。

 

 知らない間に、小さくなったなあ。いつも悩んでいて解消しない。愚痴が出る。自分には力がない。妙に物分りが良くなった。



 自分らしく生きていかないと。この1年間ぐらいで急激に自分が変化しているのを感じる。それに慣れていないのか、それとも大海を知ったのか。どちらもだろうなあ。世界は広い。無知は良くない。





 自分が何を知らないのかを知ること、何を知っているのかを知ることが大切だ。自分はなにものなのか。



 人は変化を嫌う。安定を求めるが、変わるべきだと思う。自分を変えることはしんどいが、新しい世界が開ける。それが過酷でも今までの世界よりは良いと思う。その世界で生きていくのは楽だが、そこに成長はない。ずっと同じ見方、同じ行動、同じ言動、同じ経験。それも良いとは思うが、世界は広い。自分をすすめていく方が、きっと幸せだと思う。同じものを見ても以前と違った見方ができるように自分を更新していきたい。自分らしさを残しながら、新しい自分へ。

 一生勉強です。

2008年10月6日月曜日

世界は1つで成り立たない

 久しぶりにブログを書きます。休みは勉強会づくしだった。金曜日は脳科学の勉強会へ、日曜日は足の勉強会へ行ってきた。どちらも知らないといけない。身体だけ、脳だけでは人は成り立たない。お互いが支えあっていて、世界は一つで成り立たない。相反するものがあったり、全く違うものがあるからこそ、そのモノ自体が強調される。強調しあっている。存在感を出し合っている。世界は相互作用の賜物なのではないか。人が人に関わる事は、物事を一つの面を診るということではなく、多面的に捉える事なのだと思う。
 とうとう英文を読まないといけなくなってきてしまった。こんな事なら中学、高校生の時にしっかり勉強しとけばよかった。日本語もちゃんと読めないのに英語なんて・・・。まぁやるしかないです。やらざるもの経験を得ず。
 そう言えば、英語で話すときは、思考も英語になってしまうので、思考能力も低下してしまうという話を聞いたことがある。学習しかないのだな。何事も挑戦です。

2008年10月1日水曜日

忙しい思考

 忙しい。他のセラピストが遅めの夏休みをとっていて非常に忙しい。時間が足りない。焦る。焦ると思考が止まってしまう。良い治療が出来ない。もっと時間が欲しいなあ。それにしても一人の持ち患者が多い気がする。私が今勤務している所では、普段そんなに多くなく、ゆっくり診られる。以前勤務していた場所では非常に忙しく、目が回る程だった。

 日本の医療制度はどうなるのだろう。聖域なき、構造改革のしわ寄せがきている。そのためか早期のADL自立、早期歩行の獲得が重視されている。リハビリテーションは医療であり、治療である。治療とは麻痺の回復であり、損傷した機能の再獲得であり、代償動作の獲得ではないと思う。どんな形でもいいから、動けたら良いというものではないと思う。確かに、現在の状況では、以前と同じような状態になるような完全な回復が望めない。ただ、何かが間違っている気がする。昔は6ヶ月経ったら麻痺は回復しないと言われていたが、現在では違う。例え経過が長くとも変化する回復に向かう方もおられる。脳に可塑性があると言われている時代である。こんな時代にプラトーがあるだろうか。
 セラピストは、プラトーと言う前になぜ治らないか考えないといけないと思う。それこそがリハビリテーションであるからだと思う。
 
 プラトーが死語と言われるのはそう遠くない気がする。プラトーと言う言葉は消さなくてはいけない。

2008年9月26日金曜日

意欲の素

 昨日は認知の勉強会があった。この勉強会へ行き始めて、だいたい半年ぐらい経ったかな。いつもここへ行くと、モチベーションがあがります。もっともっと勉強しないといけないと感じる。症例の事で、お互いの意見を交換する事は大切だ。違った見方ができる。気付く事が多い。症例を通して共同注意しているんだろう。リハビリテーションの世界ってなんか、三項関係で成り立っているような感じがする。実習生とも症例を通して三項関係をつくるし、患者さんとも物体を通して三項関係をつくる。そしてセラピスト同士も症例を通して三項関係をつくる。
 三項関係を考えたヴィゴツキーは凄い。ヴィゴツキーは発達心理学の中で、母親、子、対象物の関係があり、主体である子供が対象物に直接働きかけて発達が起こるのではなく、母親が介入する事によってはじめて、発達が生じると言っている。これを図式化したものが、ヴィゴツキー三角と言われている。
 何かを学習したり発達するためにはこの三項関係が必要だ。人が人に関わるとはこういう事ではないかと思う。
 やっぱり勉強会は良い。テンションが上がる。明日から休みです。ゆっくりしながら勉強しよう。テンションが上がっているのにブレーキをかける必要はないからなあ。

2008年9月24日水曜日

セラピストと患者さんの一期一会

 帰り道、自転車でいつもの坂を下っていると、いつもと違う冷たい風が半そでの肌にあたって、冷たい。いつの間にか寒くなったなあと身体で感じる。
 身体は環境の情報をいっつも脳にあげてくれているのがよく分かる。こうやって日々身体の図式はアップデートしていくんだなあと実感する。この状態が突然変わると怖いなあ。自分が自分じゃなくなる。どんな感じなんだろう。昨日までは当たり前だったこんな感覚を失うというのは。想像を絶する。
 セラピストはそんな人に何ができるんだろうか。人が人に関わる事の意味はなんなんだろうか。人は人がいないと新しい事を学べない。一人では学べない。同じものを見て、同じように動いても人それぞれ、違う見方、違うとらえ方をしている。主観が違う。お互いの主観を共有するものが客観になる。客観は一つの法則とでもいったらいいのかな。うまく言えないです。一つの出来事に対して二人が主観を交換し合いながら、一人が法則を教えていく。それが学習過程なのかな。なんか微妙に違うような気がする。
 教えられる方も実は成長している。教えられている人に気付かせてもらっている。だからセラピストも患者さんに育てられている。患者さんを治療しながら。一人一人の患者さんを大切にしたい。セラピストから見れば、多くいる中の一人の患者さんだけど、患者さんからは一人しかいないセラピストだから。
 これも一期一会だなあ。頑張るしかない。一つ一つの出会いを大切にしていこう。

2008年9月23日火曜日

ブログ初心表明

 今日から、ブログを書き始めます。初心表明として、考えた事や経験したことを書いていこうと思います。続かないと意味がないので、続けていこうと思います。まぁ、毎日はきついので、できるだけ多くですね。
 このブログを見てくれた方は、ぜひ何かコメントを頂けたらと思います。人は人と関わって、影響され、新しい自分に更新していくので、お互いが新しい自分に変われたらと思います。
 一期一会をモットーに!人が生きる事は一期一会だとしみじみ思います。今まで出会った人が一人でも欠けていると今の自分は、違う自分になっているんですからね。人との出会いを大切にしていこう。