2008年10月10日金曜日

変化することと変化しないこと

 最近、寝不足気味。生活のリズムが悪い。時間がおしい。凄く時間に追われている。でも何にもしたくない。疲れてるのかな。気を張ることが多い気がします。スケジュールが詰まっているとなんとなく重苦しい。

 今までこんな感じはなかったのになあ。



 昔は、もっとメラメラと燃えていた。昔といっても2、3年前だが・・・

 ゆとりがあって、本当に自分の好きなことが出来ていたような・・・というか自分の好きなことしかしていない。突っ走ってた。何も気にせずに自分を信じて、我が道をいく。暴走特急だったような。

 

 知らない間に、小さくなったなあ。いつも悩んでいて解消しない。愚痴が出る。自分には力がない。妙に物分りが良くなった。



 自分らしく生きていかないと。この1年間ぐらいで急激に自分が変化しているのを感じる。それに慣れていないのか、それとも大海を知ったのか。どちらもだろうなあ。世界は広い。無知は良くない。





 自分が何を知らないのかを知ること、何を知っているのかを知ることが大切だ。自分はなにものなのか。



 人は変化を嫌う。安定を求めるが、変わるべきだと思う。自分を変えることはしんどいが、新しい世界が開ける。それが過酷でも今までの世界よりは良いと思う。その世界で生きていくのは楽だが、そこに成長はない。ずっと同じ見方、同じ行動、同じ言動、同じ経験。それも良いとは思うが、世界は広い。自分をすすめていく方が、きっと幸せだと思う。同じものを見ても以前と違った見方ができるように自分を更新していきたい。自分らしさを残しながら、新しい自分へ。

 一生勉強です。

2008年10月6日月曜日

世界は1つで成り立たない

 久しぶりにブログを書きます。休みは勉強会づくしだった。金曜日は脳科学の勉強会へ、日曜日は足の勉強会へ行ってきた。どちらも知らないといけない。身体だけ、脳だけでは人は成り立たない。お互いが支えあっていて、世界は一つで成り立たない。相反するものがあったり、全く違うものがあるからこそ、そのモノ自体が強調される。強調しあっている。存在感を出し合っている。世界は相互作用の賜物なのではないか。人が人に関わる事は、物事を一つの面を診るということではなく、多面的に捉える事なのだと思う。
 とうとう英文を読まないといけなくなってきてしまった。こんな事なら中学、高校生の時にしっかり勉強しとけばよかった。日本語もちゃんと読めないのに英語なんて・・・。まぁやるしかないです。やらざるもの経験を得ず。
 そう言えば、英語で話すときは、思考も英語になってしまうので、思考能力も低下してしまうという話を聞いたことがある。学習しかないのだな。何事も挑戦です。

2008年10月1日水曜日

忙しい思考

 忙しい。他のセラピストが遅めの夏休みをとっていて非常に忙しい。時間が足りない。焦る。焦ると思考が止まってしまう。良い治療が出来ない。もっと時間が欲しいなあ。それにしても一人の持ち患者が多い気がする。私が今勤務している所では、普段そんなに多くなく、ゆっくり診られる。以前勤務していた場所では非常に忙しく、目が回る程だった。

 日本の医療制度はどうなるのだろう。聖域なき、構造改革のしわ寄せがきている。そのためか早期のADL自立、早期歩行の獲得が重視されている。リハビリテーションは医療であり、治療である。治療とは麻痺の回復であり、損傷した機能の再獲得であり、代償動作の獲得ではないと思う。どんな形でもいいから、動けたら良いというものではないと思う。確かに、現在の状況では、以前と同じような状態になるような完全な回復が望めない。ただ、何かが間違っている気がする。昔は6ヶ月経ったら麻痺は回復しないと言われていたが、現在では違う。例え経過が長くとも変化する回復に向かう方もおられる。脳に可塑性があると言われている時代である。こんな時代にプラトーがあるだろうか。
 セラピストは、プラトーと言う前になぜ治らないか考えないといけないと思う。それこそがリハビリテーションであるからだと思う。
 
 プラトーが死語と言われるのはそう遠くない気がする。プラトーと言う言葉は消さなくてはいけない。