2009年12月31日木曜日

変わり目、区切り目

 年末ですが、私は昨日、今日共にいつもと変わりなく、同じ時間に起床。
 院の授業をほとんど受けていないため、授業の録画をただひたすら見る。
 けっこう疲れます。
 こんな年末はおそらく初めてで、いつもはだらだらと過ごすことばかりでした。
 なんか今年は年が終わる時まで、いつもの自分と違う生活リズムでした。

 今年は大きな変化があった年だったと思います。
 2つの学会へ発表。
 大学院への進学。
 どちらも自分にとって、大きな一歩です。
 自分でも分かるぐらい、変化したことを感じられます。

 以前よりも冷静に物事を解釈できてきているような気がします。
 以前は、気持ちが先行して、結局何をしていいのかはっきりせず、行動として起こせていない状態でしたが、少しはどのように考え、行動すればいいのかは、明確になってきたのかなと思います。
 うまくは言えないですが、大きな壁が見えるだけでなく、実際登らないといけないという実感が湧いた感がします。
 その壁が今まで遠くから見ていたよりも遥かにスケールが大きいし、底が知れないという感じです。
 ただ登っている自分はイメージできるようになりました。

 世界観が変わって、目を外へ向けなくてはいけない状態に変化してきています。
 外へ自分を向けるということは、自分の中身がどのように評価されるか分かる時だと思います。
 まだ、自分の研究者としての部分は外へは出ていませんが、来年はドンドンOut putできるようにしたい。
 研究者っていうのも、恐れ多いですが、プチ研究者として頑張ります。
 そして臨床でも結果が出せるように、あきらめないようにしていきたい。
 志は大きく、考えは綿密に、行動は素早く。
 もう一皮むけた自分に出会えるようにしていきたいです。

 明日は今年最後の日ですが、同じように過ごすと思います。
 なんとも区切りがない生活です。

2009年12月28日月曜日

プチ忘年会

 今日は、研究のため大学へ。
 まだまだ実験の前の段階、準備段階です。
 後輩と二人、ずっと研究室にこもり、ひたすら実験の準備です。
 後輩には感謝の気持ちです。
 休みの日にこれだけ長く付き合ってくれる人はいません。
 良い後輩を持ちました。
 結局、プレまでは行けず、あっという間に、外は真っ暗。
 今年にはプレ実験を始める予定だったのにできず。
 来年に持ち越しです。
 やるしかない。

 夜は後輩と今年は濃厚で長い年だったと一年を振り返りながら、お酒を交わしました。
 プチ忘年会となり、名残り惜しく、帰宅。
 
 だらだらしているとこの時間となりました。
 年末年始は、シャキッとしないと。
 今年を振り返り、来年に向けて計画を立てよう。

2009年12月26日土曜日

休みの日

 今日は年賀状を書いて、若干の現実逃避です。
 昨日は病院のリハ室で勉強会を主催したためやや疲れ気味です。
 今日ぐらいは休もうと思い、明日から頑張ります。
 昨日の勉強会はというと、相変わらず話の脈絡がなく、眠たい勉強会になってしまいました。
 どうも話すことが上手くできない。
 いつもいつも、目が輝くような話をできないでいる。
 自分の話し方が改善できていないのかな。
 相手に伝わらないと意味がない。

 だいたいいつも勉強会を行った後は自己嫌悪です。
 コミュニケーション下手なのを直さないといけないと思います。
 なんとかならないものか。

 最近、愚痴が多くなってきているような気がします。
 自分に必要なのは行動力と前向きな気持ちだろうなと思います。

2009年12月18日金曜日

患者さんが退院する時に思うこと

 今日は、一気に患者さんが4人も退院。
 4人とも笑って退院できそうです。
 ほっと思いながらも、この後、患者さんたちはどんな人生を歩んでいくんだろうかと思う。
 理学療法士は患者さんの人生の一部でしか仕事をしない。
 自分の目の前からいなくなった患者さんの後は、分からない。
 
 いつも気になる。
 特に治療がうまくいかなかった患者さんや機能障害が残っている患者さんの退院のときには。
 どこまで良くなれば、リハビリテーションは終了できるのだろうか。
 歩けたら?、生活できたら?、以前と同じ状態に戻れたら?
 何が答えになるんだろうか。
 以前と同じ状態っていうことは治るを意味するが、私は治すことが出来た人が一人でもいるんだろうか。
 リハビリテーションが、治療できるように、終了できるようになる日はくるんだろうか。
 人を治療していくことの難しさを痛感する。 

2009年12月17日木曜日

睡魔睡魔

 最近家に帰ると眠たい。
 文献を読まないといけないし、研究のデザインも詰めないといけないが、眠い。
 異常なほどの睡魔に襲われています。
 ここ最近、ずっとこの悪循環。
 しゃきっとしないといけない。
 なんか変な安心感があるのか。
 もう少し危機感をもってやろうと思います。

 英文の方は、ぼちぼち読んでますが、まだまだペース遅いなあ。
 今はラバーハンド関連の文献を読んでいます。
 もう少し文献を読んだら詳細を紹介できたらと思っています。

 しかし、なんでこんなに眠たいのだろう。
 気合い入れて頑張らないとなあ。

2009年12月16日水曜日

分からない時は、どこまで分かっているか考えることが近道です

「分からないと言うことは簡単だが、どこまでが分からないのか、どこまでが分かるのかを考えろ。全部分からないわけではないだろ。」
 私が実習に行った時にバイザーに言われた言葉です。
 1年目の新人さんと話していた時に、この言葉を思い出した。
 分かるということは、分けるということである。
 何かと何かの違いを分けることができること。
 ただ、分かるということは、すべてを分けるということにはいかない。
 ある一定の範囲が分けられるようになった時に分かったと感じるのだと思う。
 だから知識にしろ運動にしろ分かる部分があれば、分からない部分があるのだと思う。
 理学療法も同じだと思う。
 分からないことを分からないと言ってしまうと、その分かる部分がすべてなくなってしまう。
 実はある範囲まで分かっていて、思考ができるのに。
 分からないって言ってしまうことは、楽である。
 思考を停止して、人に聞けばいいだけ。
 受け身だ。
 分かる部分が分かるからこそ、分からない部分を知ろうとするのだと思う。
 私はバイザーにそういうことを教えてもらったのだと感じた。
 新人さんも分かることを積み上げて欲しいと思う。
 人に聞いても分からない。
 それは自分の経験ではない。
 自分の分かることと組み合さないといけない。
 思考することを停止してはいけないと思う。
 患者さんにも言われました。
 「先生の言っていることに分からないことがある時があって、自分なりにどういうことか考えてみて、身体を動かしています。その時に先生が言ってたことはこういうことだったのかなって思う。」
 私の指導、援助の仕方が足りないせいで、患者さんが理解できないということが生じてしまっています。
 もっと分かりやすく、教えられるように努力したいと思います。
 私が言いたいのは、患者さんも分かる部分と分からない部分を結び付けることをしているのだということです。

 何かを学習するということは、分かることと分からないことを結びつけて、つなげることのような気がします。
 私も分からないことをもう一度考え直していこうと思います。

2009年12月6日日曜日

勉強会へ参加

 久しぶりに勉強会へ参加してきました。
 勉強会って言っても学会です。
 日本光脳機能イメージング研究会の学会です
 この研究会ではNIRSを使用した研究がテーマとなっています。
 私もおそらくNIRSを使用して研究を行っていくため参加しました。
 意気込んで行ったのは良いのですが、道に迷い、15分ほど遅刻。
 完全に出鼻をくじかれました。

 午前は教育講演があり、NIRSの初心者である私でも非常に分かりやすかったです。
 ただ、私の知識では、ディスカッションできるレベルではないなあと話を聞いていて感じました。
 やはり使用する機器を知る必要はあり、データの意味の理解ということは重要だと考えます。
 自分が行っている研究の意味は最低限知っておかないといけない。
 もっと勉強しないといけないなあと感じました。

 午後からは演題発表があり、色んな職種の方が、発表されており、初めての感覚でした。
 脳イメージングであるNIRSを使用するという1点でつながり、言語関係者、医療関係者、発達系の関係者など違う分野の人達の考え方を聞くことは新鮮でした。
 時間知覚の発表があり、これは少しリハで使用できるのではないかと非常に興味深かったです。
 短時間知覚は視交叉上核、前頭葉、頭頂葉、大脳基底核のシステムによって、認識されているようです。
 こんな知覚が研究されていたんだと思いました。
 文献調べる必要があるなあ。

 明日も勉強会の参加で大阪に行きます。
 楽しみです。

2009年11月24日火曜日

感覚ってなんなのか。

 感覚と言う言葉を聞いてどのようなことを連想しますか?
 一般的に理学療法士や作業療法士が行っているような手や足を触ったり、関節を動かしたりする感覚検査を思い浮かべますか?
 ふだん私達が、使用している「感覚」という言葉は、それだけで説明できるのでしょうか?
 例えば、自分が新しい運動や新しいスキルを練習している時に感じる「感覚」っていうのは、感覚ではないのでしょうか?
 もう一度あの感覚を経験したいというのは、感覚ではないのでしょうか?
 セラピストは、感覚=感覚検査になってはいないでしょうか?
 一般的な感覚が失われているような気がします。
 セラピストの中の統一された言語の枠組みだけで考えていないでしょうか。
 確かに専門用語は大切ですが、先入観で物事を見ていないかなと思います。
 ちなみに感覚検査ではなく、教科書には知覚検査と表記されています。
 知覚ももっと運動のように細かくわけていけないのでしょうか?
 知覚検査と言われているものは、あまり能動的とは言えないように思います。
 能動的というのは、積極的に思考するということです。
 運動すること、動くこととは別です。
 例えば、2つの中に違いを見つけることや予想することです。
 また、運動が伴う場合の感覚はどうでしょうか。
 感覚検査と同じ感じ方にならないと思います。
 そうやって感覚というものを細かく分けていくと、運動に近づいてくるような気がします。
 
 感覚という言葉に騙されているのかもしれません。
 それは今までの固定概念や先入観のせいだと思います。
 もう一度、意味を考えないといけないと思いました。

 とこのような話を後輩と話していました。
 先入観とか固定概念は崩さないといけないと思います。
 一つの考え方から抜け出すというのは凄く難しいことだと思います。
 私も一つの考え方からこのように考えています。

 常に違う視点からも考える必要がある。

2009年11月22日日曜日

理学療法士像

 今週はほとんど、何にもできていない。
 特に文献を訳すことが進んでいない。
 先週が忙しく疲れたからか。
 その変わり、職場のスタッフと話す機会が多かったような。
 後輩の悩みやら、新しく入ったスタッフとの知識交換。
 最近は臨床もある程度落ち着き、考えられているような気がする。
 そう言っても全然駄目ですが。
 もっと勉強しないと。
 
 若いスタッフと話していると価値観が多様化していると思う。
 同じ理学療法士でも、求める生活は違う。
 何が一番になるのか。
 家族での役割なのか、治療者としての役割なのか、自分の生活スタイルなのかなど、順位付けが複雑。
 この中でも複雑に、もっと細かく分かれる。
 言い表せないぐらい複雑だと思う。
 それは人だから各々だとは思うが、理学療法士像としてはどうなるのだろうか。
 情報が多すぎるし、選択肢が多いから本来あるはずの軸がブレてしまうと思う。
 軸って言うのは、理学療法士像だと思う。
 理学療法士としてどうあるべきかということが置き去りになって、自分が先行してしまっているような気がする。
 実習生もそんな人が多いような気がする。
 自分はこうなりたいとか、目標がないような。
 理学療法士像がない。
 それはなんとなくでも良いと思う。
 臨床に出て、色んな人に会うとその像は、くっきりしてくると思う。

 私自身も、理学療法士像をなんとなくしか持てていない。
 治療者であることが、一番であると思うし、常に新しい知識を持とうとすること、そこから創造できる理学療法士でありたい。
 目標となるセラピストはたくさんいるし、自分がその人と同じ年になる時には、その人を超えていないといけないと思う。
 それが、理学療法が進歩することだと思う。
 医療は進歩するものだから、知識が昔より得やすくなる。
 だからこそ、後からセラピストになったものは、以前のセラピストを超える必要がある。
 知識が得やすくなったからといって、怠慢になってはいけない。
 もっと上を目指さないといけない。

 大きなことを言っているが、毎日を一歩一歩頑張っていこうと思う。

 色んな事があって、そんなことを考えた1週間でした。

 今日からまた、文献レビュー頑張ります。

2009年11月6日金曜日

後悔しないように計画を

 昨日は、日本理学療法学術集会の締め切り日でした。
 抄録を学会に間に合わす予定で、とった休みが、文献を読む日になるとは。
 結局、研究は間に合わず、今回はエントリーを見送ることになってしまいました。
 計画を立てないといけないなあ。
 計画も、今すぐやることと、後のことを考えて立てるものを分けて考えていかないといけないです。
 やはりテンパってしまうと、計画どころではない自分です。
 あわてず、確実に一つずつ、計画していこう。
 
 計画と言えば、やっと研究の方向性が見えてきたのですが、その方向性のラインには、前の学会発表の時に、声をかけて頂いた先生の研究がありました。
 なのでお勧めの文献はすぐに見つかりました。
 これ学会から帰って、すぐ読んでおけば良かったのに。
 後悔です。
 ちゃんと名刺貰っとけばよかった。
 これも後悔です。
 これも一期一会です。
 出会いを結び付けられなかった感があります。
 まさか自分がそのラインで研究するとは夢にも思っていませんでしたから。
 人との結びつきは必ず自分のプラスに向かいます。
 一期一会を合言葉に積極的にならないといけないと痛感します。
 
 もう少し社交的になろう。
 自分の意見が言えるようになろう。
 良い意味で空気を読まないようになろう。

 最近、研究のことばかりなので、臨床のことも書かないとなと思います。
 自分の居場所はもちろん臨床なので、臨床抜きでは、本末転倒です。
 忙しいけど充実してきたのかな。

2009年10月28日水曜日

重い腰をあげる

 ここ最近、忙しい。
 臨床も研究のことも。
 臨床の方はあまり良い忙しさではありません。
 持ち患者さんが大量に増加して、あっぷあっぷな状態。
 反対に研究は良い忙しさかもしれない。
 
 やっと見通しがついたような感じがする。
 やはり教授は凄い。
 いとも簡単に自分の見えてない視点から切り込まれる。
 知識の量が圧倒的に違う感じがする。
 今まで開かなかった扉が、簡単に開けられた感じ。
 一生懸命押してた戸が、引き戸だったみたいな。
 自分は視点が狭いなあと強く感じる。
 一つのことに目がいってしまうと、視点を変えることができない。
 また、勉強になる。
 ただ、文献もまた、集め直す必要がある。
 それに、研究で必要な道具を作成する必要もある。
 それに実験にとりかからないと。
 「それに」づくしだ。

 やっと重い腰が上がった。
 臨床も腰をすえて、しっかり診ていこうと思う。

 時間が足りない。でも休みたい。

2009年9月25日金曜日

訳す脳と考える脳

 今日からシルバーウィークの振り替えの休みです。
 研究のために、自分が今まで読んできた文献を読みなおして行こうと思います。
 私だけかもしれませんが、英文を読んでいる時は、ひたすら訳すだけになってしまって、内容をあまり考えられていません。
 英文だとどうしても思考がうまくいきません。
 昔、読んだことのある本に、確か、自分が普段使用していない言語を使用して、考えたり、話したりすると、思考のスピードが落ち、思考の能力が低下するということを書いてあることを思い出しました。
 慣れていない言語を使用することで、脳の処理が増え、効率が悪くなるだけでなく、単調化してしまうのだったと思います。
 うる覚えなので間違っているかもしれません。
 そのせいで、英文を訳している時はあまり考えられないのではないかと思います。
 訳す脳と考えて、まとめる脳はとりあえず、分けて使うことにします。
 一番は、訳しながら、考える方法が良いですが、それをするには英語のスキルが引く過ぎます。
 いまいち、文献読んでるけど、パッとしないなあと思ってたのは、これが原因だな。
 ただ、訳すだけでなく、考えをまとめないといけない。

 ちなみにブログを初めて、一年経ちました。
 ブログに記録を残していくと、自分を振り返ることができる。
 どう成長したのか、この休日で時間がある時に振り返ってみようと思います。

2009年9月16日水曜日

遅めの夏休み

 金曜日から遅めの夏休みを頂いています。
 金曜日は久しぶりに人混みがある所へ買い物に。
 本を購入。
 「ミラーニューロン」という本をです。
 研究で、かなり近いので、読んでおかないと。
 
 土曜日からは友達の結婚式へ福岡に。
 結婚式が最近、非常に多いです。
 同期同士の結婚だったが、お互い専門学校の時と変わらず、良いカップルです。
 久々に専門学校時代の友達と再会。
 やっぱり気心が知れてる仲間は良いです。
 卒業してからもう5年経っているが、関係や人柄は変化していない。
 変わっているのは、容姿が、おっさん、おばちゃんに変わっただけ。
 お互いの近況や昔話をあてにして、夜遅くまで飲みました。

 月、火曜日は家でだらだらとしながらという感じです。
 久しぶりにゆっくりできた気がします。
 結婚式で友達と会ったせいか、気持ちもリフレッシュされました。
 本日、夏休み最終日。
 切りかえて、文献、購入した本を読まないと。
 一度、じっくり考えないといけない。

2009年9月6日日曜日

コミュニケーション不足

 昨日、長く治療させてもらった患者さんが転院しました。
 非常にフランクな患者さんで、お互い意見を出し合いながら治療ができました。
 治療の初期から患者さんと話し合い、どのぐらいまで回復できそうか、どこに目標を持っていくか、お互いが納得できるまで話して決められた。
 ゴールはピックアップ歩行器で、家に帰ろう。
 あとはどこまで回復できるか何とも言えない。
 Q-caneで歩けるかはかなり微妙だと、正直に患者さんに話した。
 ただ、時間があれば、Q-caneで歩行まで回復できるかも知れない事も伝えつつ。
 昨日は退院の日になるはずが、転院になってしまった。
 おそらく一人でも介護保険のサービスを利用すれば、自宅で暮らせただろう。
 ただ、私がDrに対して説明が少なかったことが転院に至ってしまったと思う。
 もう少しDrに説明していれば、Nsに説明できればと思う。
 チーム医療と言われるが、実際は非常に難しい。
 私のコミュニケーションが少ないのも原因だと感じる。
 患者さんには非常に申し訳ないと思う。

 病院でも、大学院でもコミュニケーションは非常に重要だと思う。
 自分をもう少しでも出せるようにならないと。
 コミュニケーションスキルが非常に低いと思う。

 自分の考えを伝えられるように少しずつ実践して行こうと思う。

2009年9月1日火曜日

予定を作成

 予定が詰まる詰まる。
 私は、いつも予定を携帯のカレンダーに入れているのですが、毎週のように、予定が。
 今日は9月、10月の予定を確認している時に後輩から電話があり、さらに予定が入る。
 こんなに忙しいことはいいことだと思う。
 今までは全く、予定が入らない月もあったし、ここ2年ぐらいは予定がぎっしり。
 これを全部こなさないといけない。
 小さい勉強会もあるし、大きな勉強会もある。
 それに加え、自分の勉強もしないと。
 これが当たり前になるように頑張ろう。
 予定がある方がきっと楽しい。
 病院と家の往復なんて、刺激がない。
 病院は刺激に満ちているとは思いますが。
 自分だけで考えていては、グルグル同じことがまわってしまう。
 アウトプットし、意見をもらうことが大切。
 そのためには自分をしっかり確立していかないといけない。

 もう9月が始まった。
 時間は待ってくれないし、時間を使うのは自分自身だと思う。

痛み

 もう9月だ。
 8月あっという間だった。
 何か追われている8月だった。
 臨床に追われていた。
 患者さんの痛みって難しい。
 痛みは、客観的なものだけではなく、情動や経験など複雑であり、主観の評価も非常に必要であることが、痛みを難しくしていると思う。
 神経因性疼痛、末梢神経損傷での疼痛、痺れ。
 非常に厄介です。
 目には見えてこない。
 でもよく目をこらすと、運動として生じていることがある。
 足底の接触時に痛みが生じる人は、足部の緊張が高い。
 前足部である人は、足指伸展の緊張が高い。
 見逃さない事が大切なのだと思う。
 でも外部観察でも見つけられないことがある。
 その時は、患者さんの内的に起きていることを聞かないといけない。
 痛みを客観、数字だけで見てはいけないと思う。
 人により感じ方が変わるし、容易に変化することもある。

 なんとなくちらちら日本の文献を読んでいるとポイントはイメージによるトップダウンの制御なのかなと感じた。
 痛みは非常に辛い。
 患者さんの話を聞いていると、夜も寝られない人もいる。
 なんとかしたいと思う。

2009年8月25日火曜日

当たり前のことだけど、当たり前にできないこと

 またまた、久しぶりの更新です。
 ここ最近、臨床が忙しく、色々なやらないといけないことに手をつけられていません。
 臨床にいると、患者さんの色々な訴えがあります。
 「家になんとかして帰りたい」とか「痛くて、夜寝られない」、「どうにかして歩きたい」などなど。
 当たり前のことですが、しっかり患者さんの声に耳を傾けないといけないと思う。
 不安や先が見えない未来がある。
 最近、症状が重い患者さんを持つからか、非常に身を持って感じる。
 なんとかしないといけないことがある。
 臨床はスマートにいかないものだと思う。
 できれば、すべての患者さんの希望を叶えたいし、すべての患者さんを前と同じ機能に戻したい。
 そうはなかなか現実いかない。
 もっと現実を見ないといけないし、自分の治療をもっと理想に近づけないといけない。
 
 臨床も研究も頑張ろう。

2009年8月15日土曜日

権利と義務

 月曜日は講演会があり、参加してきた。
 セラピストと政治。
 関係はあると思うが、政治に対して組織の末端の私がどこまで関与できるのかと思った。
 組織の幹部が政治を通して、変えていこうとしていることは知っておくべきだとは思った。
 それにどのようにして、それが行われているかも知る必要がある。
 講演でも言われていたが、私ができることは、ただ、セラピストがセラピストとして、患者さんに向き合っていけば良いというシンプルなものではないかと思った。
 組織がどのような方向に動いているかを知り、その上で、自分のやるべきことをすればいい。
 逆にセラピストは政治に対して、何か言えるような成果を出してきているのかとも思った。
 権利と義務がある。
 権利ばかりを求めると義務が大きくなる。
 その大きな義務に、応えるだけの力量があるセラピストが多くいるだろうか。
 自分はその大きな義務を背負いきれないような気がする。
 治療という形で、患者さんに還元できるだろうか。
 それが、セラピストの背負わないといけない義務だ。
 一歩ずつ進まないといけない。
 
 理学療法のあり方も考える必要があるのではないかと思う。
 理学療法士の立場と共に、どうあるべきかを考え直すいい機会ではないか。
 前に進まないといけない。

 私も自分の立場で理学療法、理学療法士を考え直そうと思う。
 
 ただ、非常に難しい。
 私の理想的な治療を今、私ができるとは到底思えない。
 まだまだ、知らないことがたくさんある。

 ちょっと嫌になります。

2009年8月8日土曜日

セラピストのやりがい

 この1週間、時間に追われて何もできていません。
 夏休みに立て直そうと思っていたのに。
 時間って何もしなくても過ぎます。
 同じ時間過ごすなら、有意義に過ごさないと。
 「疲れた。」とか「しんどい。」とか言ってる間に少しでも得られるものがあるはず。
 気持ちの持ちよう次第だと思う。
 どうその課題に自分が取り組むか。
 これは生涯学んでいく必要がある理学療法士の立場でも同じだと思う。
 理学療法士は、勉強しなくてもやっていける職業だとつくづく思う。
 どのような治療をしても1単位は1単位だ。
 20分治療すれば、金銭的なことが発生する。
 質を求められていない。
 そのような状況が、結局単位を求められ、治療した数、時間を求められるようになってしまうのかもしれない。
 リハの空気として、経営に傾きすぎているのではないかと思う。
 確かにマネージメントはある程度必要ではあるが、その前に、治療を行うといった仕事がある。
 治療を行う、よりよい治療を提供するという観点での話し合いは非常に少ない。
 なぜ、金銭的なことが発生するのか立ち戻らないといけない。
 私たちが提供することは治療である。
 時間をただ共有することではない。
 そのためには学んでいくことが必要だ。
 学んだことが、患者さんの回復につながったと感じた時、セラピストは、金銭で得られないものをもらえると思う。
 それが手応えであり、嬉しさであり、理学療法の楽しさであると私は思う。

 今日は、文献を検索し、レビュー頑張ります。
 この1週間を取り戻そう

2009年8月1日土曜日

自分を見つめ直す、そして再考

 前期試験が終了し、夏休みに突入です。
 この夏休みが、遅れを取り戻すチャンスです。
 他の院生達は着々と進んでいる感じがします。
 この1カ月で追いつけるかは分かりませんが、できることをしようと思います。
 それに臨床もやや力が抜けている感があります。
 もう一度自分を立て直そう。
 この一年が自分を大きく変える予感がします。
 別れ道なのかも、良い方向へ最善の努力をしよう。

 今日は、久しぶりにゆっくり、近くで花火大会があったようで、ベランダからずっと眺めてぼぉーとしていました。
 花火って視覚的にも綺麗だけど、音が凄い気持ち良いなあと思いながら、夏を感じ、気力回復です。

 臨床では新人さんが奮闘中で、少しでも手助けできれば。
 自分の概念にとらわれていると、狭い世界でしか、患者さんを診られない。
 診方を変えれば、治療の方法も見つかる。
 治療が広がる。
 純粋に理学療法士としてではなく、一セラピストとして関わってほしい。
 理学療法士として、運動を改善していくことはもちろんだけど、運動の裏に隠されている知覚を感じ取って欲しい。
 現象がなぜ起こるのか、本当にそれは阻害因子なのか、よく考え、よく学んでほしい。
 患者さんをどうにか治したいという気持ちが最大の原動力だと思う。
 彼女が、その患者さんの治療のこと話している時の笑顔が印象的だった。
 自分のもやもやが少しずつ解消されてきている。
 患者さんが良くなりそうな手ごたえを感じている笑顔だった。ように私は感じる。
 ある一定の知識で概念化してしまってしまうと、他の概念でものが見えなくなってしまう。
 純粋に現象をとらえ、現在言われていることを文献や本によって見直すことが必要だ。
 自分の枠を超える必要がある。
 それには、物事を概念化せず、見たまま、感じたまま、インスピレーションを大切にすることだ。
 そこにサイエンスを加える。
 その裏付けはきっとあるはず。
 見つけるまで、探さないといけない。
 こんなに多くの研究がされているのだからそれを探索し、生かす必要がある。
 世界は自分が思っているより広い。
 それはどんでもなく広く、深い。

2009年7月26日日曜日

数なのか質なのか

 久しぶりにブログを書きます。
 少し忙しかったため、なかなか書けなかったです。
 ここ最近、我が病院での治療患者さんの量が急激に多くなっています。
 私の担当患者さんももちろん多くなっており、てんやわんやしている状態です。
 どうしても患者さんの数が多くなってくると一人の患者さんにかける時間は少なくなってきます。
 そうなると思考する時間は短くなるわけです。
 また、思考時間が短くなるだけでなく、その思考する量は逆に患者さんの人数分だけ増加します。
 担当患者さんが多くなるということはセラピストのとって負担になります。
 たしかにそこに患者さんがいるから診ていかないといけないのは分かっていますが、それと質の話とは違うような気がします。
 質をあげるためにはある程度の数にしないといけないわけです。科としてはそれを調整する必要はあると思います。
 より効率良く、そして質をあげるということ。
 病院によっては数を求められるところもあると思いますが、やはり理学療法士として、数ではなく、どれだけ患者さんを良くできるかという質が大切だと感じます。
 経営などの問題もあると思いますが、理学療法士の数が増加している今だからこそ、理学療法の質が求められないといけないと思います。
 じっくり考えられる時間、じっくり勉強できる時間、じっくりスタッフと話し合える時間、時間が必要なのではないかなと思います。
 ただ、時間は作るものですが、ある程度の余裕は必要だと思います。
 
 ここ最近、疲労が大きく、家に帰るとぐったりしています。
 愚痴も出ますし、考える気力がなくなります。
 愚痴を言っていても、患者さんが良くなるわけでもないし、時間が増えるわけでもない。
 時間を有効に使えるように頑張ろうと思います。

 若干の余裕と患者さんを治したいという気持ちから知的好奇心が生まれる。

2009年7月15日水曜日

目から鱗

 今日は昼から半休を頂き、大学院へ。
 昼間の移動は暑いです。
 いつもは朝と夜の移動なので、まさか昼間がこんなに暑いとは思いもしなかった。
 汗をダラダラかきながら大学へ。

 研究計画を見てもらうが、計画が緻密でないため、あまりコメントは頂けなかった。
 その代わり文献をコピーさせて頂いた。
 その文献が物語っているかのようである。
 さっそく帰りに読んでみたが、自分の研究計画が安易なものであったと感じた。
 文献一つで、色々考えさせられることがあります。

 研究計画を立てる際に自分のこれまでの知識を総動員できていない。
 視点が偏ってしまう。
 一つのものを多面的に見る力をつけないといけない。
 色んな方向から物事をみれば、その本質が見えるはず。

 今日頂いた言葉「最前線で研究している人間と同じ土俵に立って、研究をするのだから、追い抜かすという気持ちを持て。いつまでも自分を下と思っていたらずっと下の研究しかできない。」これは心に刻んでおこうと思う。
 大学院へ入って、できないことが多いので、できない自分との戦いが大きかったように思います。
 もっとポジティブに考えた方が良い。
 知識をつけて、先人達の研究を追い抜くという気持ちでやろう。
 それにしても知識が少なすぎる。
 視点も少なすぎる。

 さあ、明日からまた頑張ろう。
 やる気が湧いてくる。

2009年7月12日日曜日

ペース配分とゴール

 この休みは久々にゆっくりできました。
 しかし、英文は読み進めないと、そろそろ計画書を作成することに手をつけないといけない。
 頭の中ではなんとなく、考えているが、実際どうなのか。
 とりあえず、頭の中のこと具体的に文字に起こす作業をしよう。
 ここ最近、学会発表に追い詰められていました。
 今度は研究に追い詰められそうです。
 全部ぎりぎりのような気がします。
 
 去年まではずっと同じ時間を同じペースで走ってきたけど、今年はスケジュールに合わせて走っていかないといけない。
 自分が立てたスケジュールがこんなにタイトだと思っていませんでした。
 ペース配分は大切ですね。
 初めて、走ったことのない距離を走るみたいに、すぐに息切れしそうです。
 少し、調整しながらやっていこうと思います。

 やっぱり、自分で経験しないと分からないものです。
 先を見て、そのゴールに向かって、逆算し計画を立てていく能力が非常に大切です。
 予測して、着実に踏みしめていくことを今までできていなかったと痛感します。

 何事も計画的に。
 そして確実に歩んでいく。
 その先にゴールがあると思います。

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2009年7月7日火曜日

必要な思考

 なんとか無事学会発表が終了。
 今回のポスターも残念ながら意図が伝わらなかった。
 人に伝えるということは難しいと思い知らされました。
 反省点は色々ありますが、もっと端的に言いたいことをピックアップしないといけないということが一番でしょうか。

 学会の方は、興味深い内容でした。
 患者と話すということが大切。
 ただ、話すだけでなく、治療に役立てるということです。
 患者さんを知るため、導くために話すことが必要であると共に、話すことによってセラピストの思考も変化する必要があるという視点は、納得です。
 主観と客観、1人称と3人称、外部観察と内部観察は繋がってこそ意味がある。
 どちらだけでは意味がない。
 勉強でも今までのことを全て知る必要がある。
 歴史を踏まえた上で、前へ進まないといけない。

 患者さんの言語に注目し、順序立てて、今までの思考を考え直し、批判し、思考を新たに展開していくイタリアの研究方法は素晴らしいと思う。
 見習わないといけない。
 自分を批判的に吟味するということは非常に難しい。
 どうしても物事を一方向からしか見ることができなくなってしまう。
 自分を客観視できることが必要だ。
 研究計画もその通りだと思う。
 批判的吟味、共感この2つが必要だと思う。

 またモチベーションが上がってきました。頑張ります。

2009年7月2日木曜日

Negative thinking

 今日は少しネガティブです。
 結果を出すということは非常に難しいと感じる。
 自分が担当している患者さんはすべて良くなっているのか。
 自分の治療の効果によるものなのか。
 時々、これは自分の治療の効果なのかと疑うことがある。
 自分の都合の良い解釈ではないか。
 何を信じて良いか分からないことがある。

 時々、自分がやったことを外から評価してもらいたい。
 
 ただ褒められて、評価されたいだけなのかな。

 外の評価はいつも自分の期待と大きく外れてしまう。
 それも悪い方に。
 自分の力の無さがそれに繋がる。

 自分が頑張ってやったと思った以上に他の人達は頑張っている。

 周囲から見れば、結果がすべてで、そこに言い訳はない。
 人に評価されたい自分がいる。
 そんなに人の評価を気にする必要があるのかとも思うが、心の奥では確実に評価されたいと思っている。
 だからへこむのだろう。
 自分としては腹くくってやっていることが、他の人から見ると大したことない。
 
 気持ちは落ち着いているが、そういういらないことを考えてしまう。
 人は褒めて育てないといけないとつくづく感じる。

 努力が足りないことだと思う。
 やっぱりやるしかない。結果を出すために厳密な過程、手続きを踏まないといけない。

2009年6月27日土曜日

何のために勉強するのか

 やっと今日、ネットが繋がりました。
 引っ越しって、移ってからがけっこう大変です。
 
 新しい住まいは、ぼちぼち快適です。
 まわりは静かで、けっこう田舎ですが、少し出れば、買い物はできるので、良い環境です。
 若干、病院へは遠くなりましたが、それは良しとします。

 昨日は忙しい中、勉強会へ参加。
 症例を通して、クリニカルリーズンを元にどのようにして診ていけば良いかというものでした。
 私があまり得意でない呼吸の勉強会のため、分からないことも多かったですが、なんとく思考の流れというものが分かりました。
 見逃していることやもっとなんとかできる患者さんがいるのではないかと思いました。
 
 勉強ということは何のためにするか改めて考えさせられます。
 最近は、興味がある分野を勉強していく。
 その他は、勉強をあまりしないという傾向が多いのかなと感じます。
 なぜ勉強をするのかは、自分が担当している患者さんを良くしたいからということが根本にないといけないと思う。
 やれ、脳に興味があるとか、呼吸に興味があるとか、整形に興味があるとか、セラピストがどのような分野に興味があることは患者さんからしてみると関係ない。
 確かに医学的に興味があることは良いとは思うのだけれども、患者さんにとってはいちセラピストなのである。
 自分が、障害を負った時、興味がないから勉強せずに治療するセラピストにあたりたいとは思わない。
 
 前にもブログに書いたと思いますが、同じことを
 
 「セラピストからは患者さんは多くの一人であるが、患者さんにとっては唯一のセラピストである。」

 この言葉は非常に心にしみこみます。

 だから、セラピストはジェネラリストでなければならない。
 それと同時にスペシャリストでないといけない。
 病院によって形態が違うが、総合病院などではそれが求められるだろう。
 また、高齢者が多い現在ではどの病院、施設でもそうではないだろうか。
 
 私たちは人である前にセラピストでないといけないと思う。
 ただ、セラピストも人である。

 難しいなあ。私はそうなっていけるのか凄く心配です。
 
 ただ、自分の目の前にいる患者さんを良くするため、治したいと思うから勉強すること、これは肝に銘じておかないといけない。

2009年6月23日火曜日

一つずつ、かたをつけていく

 引越しやっと終わりました。
 けっこう精神的に、肉体的に疲れます。
 そんなことは、全く言い訳にならないので、気合を振り絞っています。
 
 自宅のインターネットの環境がまだ整っていないので、苦労しています。
 文献検索ができません。
 なので、ブログも職場からの作成です。
 職場にインターネットがあって、良かった。
 
 ここ最近は引越し、学会のポスター作成に時間を費やしています。
 人生で3回目の発表なので、今度こそ、ディスカッションできるポスターを作成しようと意気込んでいます。
 非常に多くの意見交換がしたいので、頑張ります。
 なんか学会に追われている気がします。
 とりあえず、引越しは終わったので、学会ポスターを完成させたいです。
 その後に、研究計画を作成しよう。

 今からポスター作成頑張ります。
 一気に色んなことをできる器用な人間ではないので、一つずつやっていきます。
 もやもやを一つずつ解消していきます。

2009年6月16日火曜日

師匠

 今日はずっと引っ越しの荷造りをしていました。
 荷物が少ないとは思っていたのですが、意外に多く、その半分以上が本や文献でした。
 今住んでいる所に来た時は、そんなに本の量はしめていなかったんですけど。
 この2年間で勉強したのかなと思います。
 まだ読めていない本はたくさんありますが・・・。
 
 荷造り中に実習の時のデイリーノートが出てきました。
 今も大切にとってあります。
 少しの時間読んでしまいました。
 自分の原点がそこにあります。
 その時のバイザーは師匠だと思っています。
 考えている内容は変化してきていますが、理学療法士とはどんなものかとか、どれだけ面白いものなのかを学んだと思います。
 それに根本は今とあまり変わってないような気がします。
 それは成長していないのかもしれませんが。
 どこかでお会いできる日があれば、色々話したいです。
 
 まさに一期一会だと感じます。
 実習って影響力が、大きいなと思います。
 自分も、理学療法士の意義や面白さというものを伝えられるセラピストになりたいと思います。
 患者さんと真摯に向き合い、日々努力していきたいです。

 今、お世話になっている大学院の師匠にも迷惑をかけないよう、期待されるような研究をしていきたいと思っています。
 しかし、不安だらけです。
 期日も迫ってきてますし、考えもまとまっておらず。
 ひたすらにやっていくしかないですね。
 やらないとできないですから。

 臨床も研究も患者さんのために行うことだと思います。

 すべては患者さんに還元できるように。頑張っていきます。

 ちなみに認知運動療法の大阪のベーシックコースが募集締め切りになっていました。
 認知運動療法への期待が凄いですね。


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2009年6月15日月曜日

予定は考えて入れよう

 また、非常に忙しい。
 研究のレビューはひたすらに続く。
 読むラインを考えて読んでいかないと、えらい目に合いそうです。
 いまいち、つかめていない。
 ただ、何をすべきかは意見をもらって見えてきたような気がします。
 自分の仮説が大きすぎる。
 もっと現実的にならないといけない。
 
 それに付け加え、また学会の準備をしないといけない。
 今度こそは一枚のポスターに仕上げようと思う。
 もう一度自分の治療とそれにまつわる文献を読み返さないといけない。
 今度は相手に伝わるものにしたい。

 またまた付け加えて、引っ越しがあります。
 我が家は、けっこう田舎で割に涼しそうです。
 しかし、せわしなく、やらないといけないことが山積みになります。

 前も同じことを思ったけど、忙しすぎると手がまわらなくなる。
 ただ予測するだけで嫌になる。
 あれもこれもできない不器用な性格です。
 なんとかならないものかなあ。

 この1週間は全然手がつけられていない。
 疲れが出て、ずっと調子が悪かった。
 今週から全開でやろう。

 明日は、休みで、引っ越しの準備です。
 時間を見て、文献レビュー、学会準備をしよう。

 なんでこんな時に引っ越そうと思ったんだろう。
 無計画です。


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2009年6月6日土曜日

自分のやりたいこと、やるべきこと

 昨日は勉強会に参加。
 今まで自分が研究したいと思う興味ある文献をまとめたのだが、全然まとまっていない。
 不安ながらも発表する。
 まだまだ不完全。
 というよりも始まったばかり。
 皆さんの意見を聞くと、自分が何をやりたいかが見えてきた。
 発表が分かりにくかったのにもかかわらず、話をまとめてもらえた。
 非常に良いアドバイスをもらえました。
 自分が何をしたいか分かると、自分が今、何をしないといけないか分かった。
 とりあえず、文献を集めないといけない。読まないといけない。
 方向性はやや見えてきたため、これで頑張れそうです。

 私はどうやら模倣がポイントみたいです。

 しかし、プレゼンまでには時間がなく、とりあえずの発表になりそうです。

 この土日になんとかしないといけない。
 今日も朝からずっとパソコンと格闘しています。
 ちょっと寝たいですね。
 

2009年6月3日水曜日

がっかり

 研究計画書ではありませんが、今必死で英文を読んでいます。
 短報しか読めていません。
 古すぎて、こんなのでいいのか焦ります。
 しかも短報って、やばいです。
 今まで全然進まなかった。
 進める気がなかった自分が悪いのですが、辛いです。
 なんとか読むしかないです。
 
 孫引きから読むとなかなか主旨とは違うことが書いてあることがちょくちょくあります。
 なんだかなあ。がっかりします。
 やっとこの実験読みたいと思ったのに、主旨が違うというのは、けっこう疲れます。
 英文なのでさらにどっと疲れが出ます。

 でも読んでいくことを続けるしかないです。
 文献の検索の仕方が下手くそなのか。

 センスがない。


 センスがないなりに頑張ろう。



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2009年6月1日月曜日

学会で得たもの

 学会より土曜日に帰ってきました。
 今日はゆっくり休養です。
 
 木曜日より東京へ、学会初日、
ポスター発表は、質問のみのため、なかなか慣れず、
質問できなかったが、昼からは積極的に質問をする。
 ディスカッションとまではいかなかったが、非常に面白かった。
 色々なセラピストと話すことは非常に刺激になります。
 夜は、卒業した学校の先生方と飲み会へ。
 研究を行っていくための心得を、
自分が研究室の中でどのようなポジションをとっていく必要があるのか考えさせられた。
 自分には、具体性がないことを指摘され、
口だけで理想を言っていても、実際何をしていかないといけないか、
そこで何をするのかを決めないといけない。そのようなことを考えさせられました。
 的確な指摘でした。ありがとうございます。

 びっくりしたのは2日目の認知運動療法関連のセミナーが人がいっぱいだったこと。
 立ち見が出たり、夕方にも関わらず、会場いっぱいだった。
 非常に期待されているのだろう。
 逆に引き締めて臨床をしないといけないと感じた。
 自分が行っていることが、患者さんのためにならないといけない。
 人と違うこと、新しいことを行っていくためには、必ず結果を出さないといけない。
 期待を裏切らないように頑張らないといけない。
 
 夜にも認知運動療法はブームのようになっていると言われたが、その通りだと感じさせられた。
 新しいことを行うことには、責任を持ってしないといけない。
 その裏付けが非常に大切だ。
 認知運動療法を行うということは、周りのセラピストからはそのセラピストがやっていることが認知運動療法のすべてととらえられる。
 それぐらい責任が生じると思う。
 そして厳密さは一体何なのかを考えないといけない。
 これから認知運動療法を行っていこうと思う方がいれば、そんなことも考えて頂けたらと思う。
 というか一緒に考えていけたらと思います。
 私も満足できる結果を出せるようになる途中ですし、厳密さや裏付けを模索している途中です。
 
 3日目の発表はあまり人が来てもらえなかった。
 抄録の書き方も良くなかったし、効果もうまく表せていなかった。
 力不足を感じさせられた。
 自分なりに駄目だった分析はできたと思う。

 学会に行って、研究を行っていく上でも、臨床を行っていく上でも自分の問題点が見えました。
 充実した学会でした。
 
 さあ、臨床に研究に頑張ろう。モチベーションは全開です。

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2009年5月27日水曜日

テンション上がり過ぎているのかも

 しっかり寝て、しっかり食べると体調は良くなってきました。
 明日からいよいよ全国学会です。
 病院でポスターを作成しながら、学会発表をする後輩と色々と話す。
 実習生のことや学会のこと、プライベートのことなど。
 
 学会のことは期待の表情を読み取ることができる。
 少し不安な空気と混じっている。
 どちらかというと、期待の方が大きいのかな。
 学会に行って、自分が発表していると思うとワクワクするし、大丈夫かなと思う。
 私も経験年数は上だが、発表経験は同じなので同じ感覚だと思う。
 
 井の中の蛙にならないように、自分の意見をアウトプットすることは非常に大切だと思う。
 アウトプットしないと、自分の考えが、どのくらいなのか分からない。
 しっかり考えられているのか、それとも詰めが甘いのか。
 私はまだまだ後者だ。
 院にいて、非常に感じる。ビシビシと。
 上には上がいるからやらないといけない。
 でもその上にいる人も上を見ている。
 限界がない。
 でも自分が同じ年になった時に、目指す人を超えないと、理学療法の発展はないのだろうと思う。
 そんなことは想像もつかないが。途方もない話です。
 
 後輩とは未来の話が多い。
 これからどうしたいとかこうしたいとか。
 来年は発表したいとか。
 あんまり具体的ではないので、目標をきっちりつくらないと。
 目標がないと具体的に動けない。
 これも院に入って学んだ。というか学んでいる最中です。
 
 院に入って、学ぶことが多い。
 プラスになることばかりです。
 本当に良かったと思う。
 しんどいが、世界観が変わる。
 知識は全然伴わないですが、スケールの大きさを知る。
 知っていることと知らないことの隔たりは大きい。
 少し知っていることと知らないことは全く違う。
 日々の努力しかないのだろうけど、知りたい。

 いつもそうだが、今日は本当に話にまとまりがないなあと思う。
 たぶん、テンションがあがっているせいだろう。
 テンションが上がり過ぎると、気持ちだけど話してしまう。
 気をつけよう。
 感情のコントロールは大切だ。

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2009年5月25日月曜日

体調不良

 昨日から体の調子が優れない。
 今日は早く寝ようと思う。
 ここ2カ月、ずっとプレッシャーを感じていたからだろうか。
 少し、休憩が必要かな。
 程よいプレッシャーに自分で調整しないといけないなあ。
 予定が上手くいっていない。

 木曜日から学会だから調整しないといけない。
 時間を効率良く使っていこう。

2009年5月23日土曜日

運動イメージの認知度

 今日は、学会のプレ発表を職場で行った。
 色々と意見が聞け、参考になった。
 思っているよりイメージというものが知られていないことを知った。
 運動イメージというのはスポーツでのイメージトレーニングが、一番に思い浮かぶみたいです。
 私は、スポーツでのイメージトレーニングがどのように用いられているかははっきり分からないが、
みんなの中には、なにかイメージがあるみたいです。聞いてみたら良かったと思います。

 イメージは1人称と3人称があることもいまいち知られていない。
 1人称は運動イメージで3人称は視覚イメージです。
 運動に関する領域が働くには1人称のイメージが必要となる。
 ただ、考えるだけで、末梢にそんなに影響するのか?と思うが、
運動イメージは運動のプランニングと賦活の程度は異なるが、同じ領域が働くと言われているため、
運動を組み立てることに影響することは必然と考えられる。
 しかし、簡単にイメージというが、なかなか難しい。
 すぐにイメージしてできるものではない。
 特に言語のみで行っていく際には非常に難しいと思う。
 考えているよりイメージは複雑である。
 臨床で応用する場合、気をつけないといけない。
 常に視覚イメージになっていないのか、
こちらの意図するイメージができているか、
モニタリングしなければならない。
 難しいのである。
 健側でもイメージを作っていく際には、時間がかかる。

 賛否両論あったものの、興味を持ってもらえ、質問も多かった。
 しっかりと解答できなかったものもあるので、
学会までには文献を読みなおさないといけない。
 
 論理的に話が組み立てられるように心掛けないといけないなあと感じた。
 いつも自分が知っている知識はみんながある程度知っていると思って話している。
 悪い癖だと思う。
 しっかりと相手の意見を聞き、どこまで分かっているのか読みとらないといけない。
 人に伝えることが上手できるようになりたい。

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2009年5月20日水曜日

まいったなあ

 今日も学会のポスターを修正しています。
 もう今日でポスターの修正は終了します。
 来週にもう一度確認して、学会に備えます。
 と思っていると、東京で新型インフルエンザの感染者が出ています。
 全国学会が中止になるかもしれません。
 残念ですが、仕方がありません。
 それにしても、初の全国発表がインフルエンザで中止になるとは、非常に不運です。

 でも発表のためにまとめていったことで自分の考えも整理できたので、非常に勉強になりました。
 治療がクリアになったのですが、
どちらかというと日々の治療をもっと考えて行わないといけないと感じます。
 良くなったらそれでいいのではなく、次の治療に生かせるように裏付けることが重要です。

 もっともっと勉強して、良い治療を提供できるように頑張らないといけない。


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2009年5月19日火曜日

ブログ開始より初の経験

 先日、コメントを頂き、リンクさせて頂くことになりました。
 ブログを開始して、初めての経験です。
 リンクさせて頂くブログは、morimoriさんの「リハビリテーションに関わる全ての人へ」です。
 リハの色々な視点からのアプローチや色々な勉強会の情報があるブログです。
 今後もお世話になりそうです。
 morimoriさんありがとうございます。

2009年5月18日月曜日

人に見られるプレッシャー

 今日は後輩と全国学会の資料作成。
 後輩は非常にプレッシャーを感じているようであり、しっかりとした思考がまわらない様子だった。
 そんなに気負わずに、発表は人から意見を聞く場なのだから・・・
と言いたいところだが、セラピストに見られるということは、自分の能力を見られるということになる。
 確かにプレッシャーだ。
 自分が行った治療がどのように評価されるかは分からないが、どちらにしろ前進することになると思う。
 得るものは大きいだろう。
 
 自分を出すということは怖いことだろうけども
自分を出せないとアドバイスをもらえない。
 やることはやったのだから、あとは、どのように意見を伝えるかだ。
 自分の考えをしっかり伝えられるように、資料をつくらないと。
 
 後輩よ、頑張れ。
 前向きなディスカッションをするための資料です。
 前向きな気持ちで作ろう。
 私も頑張らないと。
 もうそろそろめどをつけたい。
 ダラダラせずに、集中して終わらそう。
 
 ここ最近ダラダラしている。喝を入れたばかりなのに。
 やることが多いと整理ができなくなってしまう。
 着実にしないといけない。


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2009年5月10日日曜日

自分に喝を入れる

 土日、予定があり、学会準備と研究計画の方が、ほとんど進んでいない。
 なんか凄く忙しい。
 人生最大だと思う。
 考えてることは、ほとんど研究のこと。
 焦りばかり出てくる。

 忙しいのは言い訳としか言いようがない。
 時間はつくるもので、できるものではない。
 やらないといけないのだ。
 自分を甘やかしてはいけない。
 
 人生は楽しいことばかりではない。
 責任を持ってしなければならないこともある。
 もちろん楽しめてできることがもっとも良いと思う。
 辛いこととかしんどいこともある。
 その先にはきっと良いことがあるはずだ。

 やらないという選択肢はない。

 自分に喝を入れないといけない。


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2009年5月9日土曜日

初学会への一歩の途中

 昨日は学会の準備をしていましたが、
言いたいことはある程度決まっているので、
どれだけ分かりやすく、ポスターを作るかが勝負です。

 初めての学会発表なので、
ポスターもどんな風に作れば、相手に伝わりやすいかピンときません。
 ポスター発表を学会で聞いたことがあるのに、全然思い出せない。
 自分がまさか発表するとは思ってなかったからだろう。
 そういう風な見方をしていなかった。
 色や配置、文字の大きさでかなり印象が変わる。
 
 発表はより多い人に聞いてもらいたいし、
そこで意見を頂けることは刺激になる。
 そのためにはデザインが大切だなあ。
 あと、文献読み返して、ディスカッションできる知識を持って行いといけないな。

 研究計画書を作成するための文献を集めないといけないなあ。

 どっちつかずにならないように頑張ろう。

2009年5月7日木曜日

昔と今

 連休明けですが、体は元気です。
 あまり寝ていないにも関わらず、体調は悪くなかった。
 久しぶりに治療を行うと、ウキウキしながらしている自分がいる。
 いつも新鮮な気持ちで治療には取り組みたい。
 実習生が初めて患者さんをもつ時みたいな感じで。
 学ぶことの楽しさ、そのことが患者さんに役に立つ喜び。
 ここに仕事であって、仕事ではない所以があるような気がします。
 
 趣味みたいなもんだ。
 そう言っていた昔が懐かしいです。
 今は忙しくなり、少し辛くなってきています。
 それに責任感がすごく強くなった気がします。
 昔よりもっとこうすれば良くなるとか、
自分でなければもっと良くできるのではとか、
この患者さんは将来どうなるのだろうとかがグルグル回る。
 昔は知識がなかったから自分がやっていることがすべて患者さんに良いことをしていると思っていたような気がする。
 
 昔と比べると成長しているのだろうか。
 今は色々と迷っているのかもしれない。もがいているのかもしれない。
 もがくのであれば、もがけるだけもがこうと思う。

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2009年5月5日火曜日

世界が変わる時

 昨日はずっと家に閉じこもって、学会の準備やら英文とにらめっこやら。
 
 英文はなかなか進みませんね。これはひたすらやるしかないと腹をくくっていこうと決心しました。
 これから一生向き合わないといけないと感じました。
 昨日も書いたのですが、情報量が日本の文献とは段違いです。
 1つの単元が訳せたのですが、こんなことがあったのかと世界が広がりました。
 まあほんとに訳せているのかもあやしいですが。
 でも、広い世界を感じます。少ししか訳せていませんが。これをしない手はないですね。
 今まではなんだったんだろうと思います。

 昨日は、ずっと閉じこもっていたので、今日は買い物へ行ってきました。
 久しぶりに外の空気を吸って、ややリフレッシュしました。
 翻訳ソフトを買ってきましたが・・・
 結局訳すのは、自分でやらないと意味がわかりません。
 楽はできないものです。

 努力したものだけが見られる世界があるのでしょうね。
 まだ始まったばっかりで、なかなか見えませんが、それが見られるように頑張ります。
 いつか世界が変わる時が、来るだろう。
 それを信じてひたすらに頑張ろうと思います。
 
 今日は休んで、夕方からまたやろうと思います。


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2009年5月4日月曜日

英文は手ごわい。

 今日は1日中、英文と格闘しています。今までは日本文で研究の目星をつけていたのですが、とうとう英文に行きます。それなので、全然進まない。でも1つの段落を読むとなんとなく、言っていることが分かり、ちょっとワクワクしてきます。知らない世界をちょっとずつ分け入っているような感じです。今まで日本の文献しか読んだことがなかったのですが、こんなにも情報が増えるのかと思うほど、色々文献があるんです。全然読めないですが、これをスイスイ読めるようになったら世界が広がるだろうと思います。そのためにも英文に向き合う時間を作らないと。頑張らないとなあ。今日はもう寝ようと思います。明日も早く起きて頑張ろう。 本当に読めるようになるのだろうか、かなり不安です。大丈夫でしょうか。ちゃんと研究計画書つくれるか不安です。

2009年5月2日土曜日

昼食での話

 今日は文献収集に大学へ行ってきました。英文の文献検索はなかなか進みません。あっという間に時間が経つ。昼間は病院の後輩と共に昼食。終始理学療法についての話だった。病院の話やセラピーの話、あまり深い話にはならなかったが、理学療法に燃えていることが伝わってきた。考えは色々あるが、患者さんを治療しようとする気持ちが大切だと思う。
 話の中で脳科学(認知神経科学)が出てきた。中枢がどのように働いているかということを知ることは大切である。今や脳ブームであり、大切であることは周知の事実。脳がダメージを受ければ、脳を見ないといけない。単純に考えればそうである。身体だけ見ていては、本質が見えてこない。しかし、脳だけ見ていても本質は見えてこない。身体と脳がお互いに影響し合って、システムとしてヒトがあるからだ。脳は身体を通して、環境に作用する。身体がない脳は意味がない。逆に脳がつぶれてしまうと、身体に意味が与えられなかったりり、それが不完全になってしまう。そのため環境からの情報を受け取れず、環境にうまく作用できない。どちらも考慮しないといけない。セラピストにとっては非常に酷である。勉強しないことは数えきれない。しかし、それをやっていけば、必ず良いセラピーに近づける。治すチャンスがあるということだ。
 そんな事はあんまり話していないが、後輩の話を聞いているとそんな気持ちになった。今は学問が移行期に入っていて、脳科学はあまり学校では教えられていない。でも臨床では脳科学を取り入れながら治療を行っているものもいる。ばらばらである。なかなか統一した見解が出てこない。良く言えば、ビックウェーブにのっているのかも。波が落ち着く前に結果を出しておかないといけない。そのためには身体と中枢神経をとらえた治療を展開していくことが大切だと思う。ただ、私の現在の臨床を見るとそんなにえらそうに言える治療はできていない。その気持ちを忘れず、一つ一つ、超えないといけない目標を達成していこうと思う。
 そのためには知識をつけないといけない。そして患者さんと向き合わないといけない。

2009年5月1日金曜日

ディスカッションできる臨床

 水曜日は以前の病院の同僚が勤めている病院へ。勉強会に参加。セラピストが集まると非常に楽しい。同じ志しを持っているとさらに楽しい。どのように治療を展開していけば良いか話していくことは非常にいい事だと思う。というよりワクワクする。ディスカッションしていくことが自分を高める。そして相手も高めていく。治療に対してディスカッションできる環境が大切であり、気兼ねなく話せる事が良い。批判というよりも提案が多い。そこには理論が伴う。そしてそれは、双方向である。答えは決まっていない。答えをみんなで求めていく。非常に楽しい時間だ。そこに患者さんがいれば、さらに良い。そのような臨床の場があれば最高だと思う。
 明日からはゴールデンウィークだ。研究のこと、学会の準備をしよう。頑張らないとなあ。どっちもディスカッションするための資料だ。自分の知識がないと相手に応えられない。ディスカッションできるように準備しておかないと。

2009年4月28日火曜日

セラピストの飲み会

 今日は新人さんの歓迎会でした。飲み会の時って、臨床の話は出ないのでしょうか?私の感覚では、飲み会は臨床の悩みや成功体験の話をする場所だと思っている。他のセラピストってどうなんでしょう。私の感覚がおかしいのか。セラピストが集まって話す事が、プライベートの事とか雑談って悲しいと思います。正直、他のセラピストのプライベートには興味がないです。臨床には興味はありますが、個人である前にセラピストでありたいと思います。結婚や出産、家族の事情色々とあると思うので、時間的な制約は仕方ないですが、患者さんを治療するという事に喜びとか悩みとかを感じて欲しいです。心が揺すぶられるような経験をして欲しいなあと思います。人と人が関わるからこそ情動が動くと思います。「あつさ」がないとなんか悲しい臨床だなと思います。そこにはお金とか仕事ではない何かを感じます。
 こんな感覚っておかしいんでしょうか?

2009年4月26日日曜日

ゆったり

 先週はなんだかあわただしかった。自転車がパンクしたり、パソコンがつぶれて、買いに行ったりと非常についていない1週間だった。それに加えて勉強会、大学院の授業などなど、やらないといけない事がいっぱいだった。日曜日に全部済ませて、今週はゆっくり落ち着いて勉強できそうです。また、本も頼んだのでガンガン、文献も読んでいこうと思います。1日3文献は読みたいと思います。

2009年4月24日金曜日

バイザーと学生さんの関係

 今、私の病院には4月から来ている学生さんがいます。なかなか苦戦している様子。人間関係がうまくいっていないのか、どうやって患者さんを診ていいのかわからない様子です。
 学生さんをもつときは、以前にもブログで書いたと思いますが、環境を作ることが大切だと思います。自由に発言できる事、間違ってもいい事、反論してもいい事、分からない事を聞ける事。そして臨床に興味があり、患者さんに意識を向ける事が一番大切だと思う。みんなこのことは周知であるのになかなか学生さんの目を患者さんに持っていけないのはなぜだろう。バイザーのせい?怖すぎるから?押し付けすぎるから?課題が多いから?それとも学生さんのせい?勉強不足?社会性がないから?
 どっちもだろうし、これでは何にも解決しない。お互いが、歩み寄らないとバイザーはもう少し学生さんがなんでできないか、なんでやってこないかを考えないといけないと思う。そんなの無理とは言わず、1回やってみる。やってみると意外に学生さんは上手くいくことが多いような気がする。だって学生さんだって頑張りたくないわけではない。バイザーの方が年上の事も多いし、臨床経験があるのだからもっと学生さんの事を考えないといけない。ゆとりがあるのはバイザー側。上手くいってないときはなんでか考えるべきだと思う。そして、それは自分がどうすべきかという立場に立って考えないといけない。学生さんのせいにしてはいけない。それは患者さんが良くならないときに疾患のせいにすることに似ていると思う。
 臨床を大切にしているのなら、教育も大切にすべきだと思う。それは似ているからきっと通じるものがあると思うので。
 少し介入させてもらいましたが、バイザーの方が今日は手ごたえを感じていた。良かったと思う。バイザーのテンションがあがってくると自然と学生さんのテンションもあがってくる。逆も一緒。どちらもテンションがあがって、臨床が楽しいと思える実習をして欲しい。そうすると自然に患者さんに目が向いていると思う。共同注意が必要ですね。

2009年4月18日土曜日

明日から臨床道場へ

 今日は、パソコンを買いに行ってきました。今のパソコンとの付き合いはもう7年になるのでそろそろ引退してもらおうかと思い、それに加え、最近全然、画面が映ってくれないので、重い腰をあげました。今日は買ってきたパソコンのセットアップに追われなにもできずに今を迎える。もう諦めて、逃避して、ブログを書いてます。自分の検索力の無さだろうが、全然、原著が探せていない。なんか「日本の文献で原著あるんか?」と思ってしまうぐらいに出会わない。やっぱり英語ですか。読まないと。
 明日からは高知へ。日本認知運動療法の臨床道場へ行ってきます。心を備えたリハビリテーション治療がテーマです。ちらほら入ってくる話ではなにやら志向性がポイントにあげられているみたいです。メルロポンティーを読むべきか。特集の本を以前買ったので、高知までの道中に読めたらと思います。
 臨床と研究のバランス、舵取りを上手くしないと。あの人は大学院に行っているから、臨床がおろそかになっているとは言われたくない。大学院に行っているから臨床も素晴らしい治療を展開していると言われるように頑張りたい。すべてに全力でぶつかっていく。できるだろうか?

2009年4月15日水曜日

焦る思い

 大学院の研究計画が全く進んでいません。全然、論文を読む作業が進まない。非常に焦っております。何をしていいのかさっぱり分からず、ただひたすら読むのみです。誰かにどんな研究計画書を作ったらいいのか教えて欲しいぐらいです。でも頑張ってやります。自分でやる事が糧になるはず。経験をしないといけない。楽してもそれはそれなりの経験でしかない。私は男ですが、赤ちゃんを産むつもりで、研究計画書を作成しようと思います。
 それにしても他の院生が凄いやってるように見える。というか実際やっておられると思う。一番出遅れてるのかも。必死のパッチにやるしかない。
 焦る思いがつのります。

2009年4月11日土曜日

散髪屋さんから見たリハビリテーション

 今日は久しぶりに髪を切りに行きました。休みに予定が詰まっていて、ずっと行けないため、頭がぼさぼさに、髪の毛が硬いので、ライオンみたいになります。散髪屋のおっちゃんと話してると、国家試験の話になり、理容師のルーツが外科だと言う事を聞きました。ヨーロッパで術後や術前に感染などを起こさないように、毛を切る事から徐々に理容師という職業になっていったとの事。なので、理容師も生理学や感染の事などを勉強するらしい。そういう話になってもおっちゃんは私が生理学や病理学などを知らないと思っている。
 リハビリテーションの認知度は低いと感じます。一般市民からはなんか運動させたり、マッサージしたりするっていうイメージが強い。医療職として認知されているのすら怪しいです。もっと頑張らないといけないなあと思ったお昼前でした。
 今日、帰りに本を3冊買いました。ちょっと焦ってます。こういう時は、読まないでほこり被ってしまう事が多いので、きっちり読みます。

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2009年4月10日金曜日

未来をイメージする -ショートゴール-

 久しぶりにブログを書きます。なんだかんだ忙しかったので、ブログに向かう気力が湧かなかったです。今、住んでるマンションから引越しを予定していたり、勉強会の準備をしたり、大学院の勉強をしたり、学会の発表の準備をしたり、こんなに一気にやらないといけない事が押し寄せてくるのは初めてで、大混乱し、疲労がやたらたまる。でもやらないといけない事は進まず。悪循環。今日は一つずつ、文章化して、やらないといけない順番をつけた。頭の中で考えているより、外に出して、視覚で確認していくと、若干の余裕が出る。どうも頭の中でイメージして予定を立てていく事が、非常に苦手だと感じる。昔から目標を立てる事は難しかったような。だから独り言とかメモすることが多いのかも。
 頭の中を整理した後に、大学院では先輩、臨床では後輩の人にどうやって文献を収集して、テーマを絞っていくか教えてもらった。具体的にどうすれば良いか分からないと、混乱する。今まで疲れがたまっていたのは文献収集がうまくいってなかったからかな。少しすっきりした。やるべき事が分からない。これが一番ストレスがたまる。
 1つずつ目標を立てて、少し先をイメージする事が大切だと感じた。治療もそうだと思う。少し先にゴールを設定しないと、治療の検証ができない。そして患者さんも何のために治療しているか分からない。だから少し先のゴールを立てる。その先に大きなゴールがあれば良い。ゴール設定ってこんな感じかと遅いが実感をもって感じた。

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2009年4月2日木曜日

新人さん

 我が病院でも新入職員が入職されました。新しい色が入ってくる事はいいなあと思う。新鮮さが伝わってきます。ドキドキとワクワクが伝わってくる。人見知りの私はなかなか新人さんに話しかける事はできませんが。明日休むため、新人さんに患者さんの振り分けを。入って早々申し訳ないが、患者さんを診てもらう事になった。みんな眼が力強い。何かをやろうとしている眼だと思う。これをきっかけに治療の話し合いができれば、楽しいだろうなと思いながら、ある程度の情報を伝えた。明日、頑張ってください。週明けには患者さんの話を聞きたいなあ。こっちもワクワクしてくる。こちらも影響を受ける。今のドキドキやワクワクを無くさないで欲しいです。やる気の芽を大切に育てていく事が大切だ。自分も新鮮な気持ちで向かい合えるようにしたい。燃えに燃えているはずだから、彼ら、彼女らが思うようにしていけば良い。芽がちゃんと育つように土壌を確保しないと、そうすれば、きっと良い花が咲くだろうなあ。時々踏まれる事や、雨が降りすぎることもあるだろうけど、真っ直ぐ、力強く育って欲しい。私にできる事は話を聞く事とアドバイスをする事、そして新人さんの意見にそって一緒に考える事だろう。燃えている火は消さないように患者さんへの情熱をもち続ける事ができるようにして欲しい。
 今日は新鮮な気持ちになれました。新人さんに負けないよう頑張ろう。

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2009年3月30日月曜日

リハビリテーションのスピリッツ

 今日は、以前勤めていた病院のスタッフ主催の勉強会へ。学生とセラピストの動作分析の違いについての話がだった。非常に興味深い。セラピストと学生の見ているところはほぼ同じだという事。若干違いはありましたが。意外に意外。全然違うと思ってました。どちらかというとどういう風に見ているのか、思考しているのかというのが問題だった。学生は動作分析の際に経験がないから治療と結び付けられない。だから具体的に思考していく事ができないというような内容だった。確かに。動作分析しなさいという事が酷なのかも。けっこう無茶な事だなと思い、臨床家はこれを知らないと、今までの指導を振り返ってぞっとした。どういうとこを見るかから指導して行かないといけない。そして治療を意識しないといけない。でも経験がない。臨床でどう教えればいいのか。もう少しきめ細かい指導が必要だと思った。そして自分が考えてきた過程を全部言うという事、それができないんだから。できない事をしろというのは無理な話。ばく転ができない人にばく転をしろと言っているようなものだ。できないとなんでできないのか教えてもらえない。それはできないなあと思う。 今度学生さんを担当する時は、工夫しようと思う。
 その他の項目は頚椎症の事とかダンスの話だった。ダンスの話は音の事で研究しようと今は考えているので、知っておかないといけない分野だなと考えながら、聴講。確か日経サイエンスに特集があったような。勉強会は、朝から晩までだったが、全部興味深く、聴講させてもらった。
 その後、飲み会へ参加させてもらい、元同僚たちと治療の事についての話を。自分もできていないので、偉そうな事は言えないが、リハのスピリッツは持って欲しい。自分が治療していくんだ。その人にとっては唯一のセラピストだと。あきらめた時が、治療できなかった事だと思う。どうすれば自由な状態になって再び環境と相互作用できるのかを考えていくべきだと思う。治療をあきらめる事が一番納得できない。治療がうまくいかない事もあるけど逃げないで欲しいと思う。逃げたくなるけど、もがいてい欲しい。後輩達にはそういうメッセージを送りたい。
 自分自身に対してのメッセージでもある。逃げない。向かっていこう。そこに人がいるから。そこに生活があるから。
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2009年3月29日日曜日

疲れ気味

 今日は土曜出勤で、帰宅が7時ぐらいに。この1週間、疲れが溜まっている。精神的な疲れが大きい。先行きが不安です。今年は色々スタートする年で、自分でも今まで以上にアクティブになるつもりです。今までした事がないことをしようとしているので、めちゃくちゃ不安です。自分にできるのかな。そうやって具体的に目標を立てて、1年を過ごす事は初めてのような気がします。今までは遠い未来の事を想像していた。想像というよりも妄想に近い。今回の目標は非常に具体的で、その未来に続く道になりそうな気がする。大学院もそうだが、やっぱり臨床が一番だと思う。臨床家でないといけない。だってすべては臨床のためにやるのだから。
 不安なのはまだ具体的にはじまってないからだろうなあ。始まればそんな事考えられないぐらい忙しくなりそう。でも準備はしておかないと。頑張ろう。
 明日は以前勤めていた病院のスタッフの勉強会に参加させてもらう。臨床に繋がるようにしっかり聴いてこようと思う。
 なんか忙しい。やる事がいっぱいだ。逃げないように立ち向かおう。

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2009年3月25日水曜日

転院の言葉

 今日は、担当していた患者さんが転院していかれた。リハ自体は、おとついに終了していた。昨日私は休みだったので。リハ最終日、患者さんは泣いてくれた。「ありがとう」と。その方は頚椎症で両肩が弛緩した状態で肘がやや屈曲できている状態だった。私は食事の自立を目標に治療させてもらったのだが、目標の達成には至らなかった。全然役に立てなかった。すみませんの気持ちがいっぱいで、目頭が熱くなっていた。
 無力感を感じる。その人の今後の生活はどうなるんだろう。もっと何かできた事はないだろうか。他のセラピストが治療した方が良かったのではないか。治療がうまくいかなかった時はいつもそう思う。特に転院の時はそう思う。私がいる病院は急性期だから転院は多いが・・・そう思う。
 患者さんが言われていた言葉が印象的だった。「なんでここはもうあかんねやろ。ここでいいのに。」医療制度に縛られてしまって、こんな事が起きてしまう。確かに病院が機能的に分けられる事もメリットがあると思う。しかし、こういう気持ちになってしまうのはどうすればいいのだろうか。とてもやりきれない。それと同時に無力感を感じる。
 このような患者さんに私の臨床は支えられていると実感する。私が治療してきた患者さんがみんな完全に良くなって人ばかりではない。今まで治療させてもらった患者さんが今の私の臨床を支えてくれていると思う。そう思うと、真摯に向き合わないといけないと感じる。
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2009年3月23日月曜日

今年度の目標

 とりあえず、学会の抄録一段落しました。これから穴が開くほど見て、直さないと。1週間見続ける。昨日は、考えすぎて寝付きにくかった。抄録の事、大学院の事、患者さんの事。頑張って抄録を書いているのは、何のためなんだろう。それよりも今見ている臨床の事を考えた方が良いのではないか。そういう事を考えていると寝られなくなった。朝起きると意外と眠たくなかった。悩むより実際にやっていく。今年度の目標は、「ごちゃごちゃ言う前にやる。」、「結果を出す。」の2つにしようと思う。頭でっかちではなく、臨床で結果を出して、態度で示していこうと思う。何事もやるかやるまいか悩む前に挑戦していく。うだうだと考えている時間があれば、実行していく。着実に、求められる事、やるべき事をやっていく。あれもこれもやらないといけないんであれば、全部やってしまおう。なかなかうまくはいかないがやってみようと思う。
 今日は、大学院のプレ授業があったので、そそくさと6時に帰宅。インターネットで凄いです。大学院がだんだん迫ってくる。不安と期待がいっぱいです。不安の方が若干多めですが。

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2009年3月22日日曜日

雨の日曜日の出来事

 今日は昼から職場へ。抄録がまだできていません。今月中に出さないと。職場で案を練ってました。家ではなかなか集中できない。弱い。強くならないと。
 抄録の方は、もう結果は出ているが、後はどういう風に相手に伝えるかだ。何を伝えるか。何についてディスカッションできるように提供できるか。どういう風に組み立てるかです。せっかく学会に出すのだから意見を多くもらいたい。臨床の参考にできたらと思う。
 これから一服して抄録を詰めようと思います。今日中には一段落させたい。買った本はあんまり読めてません。特にアナトミートレインは。

 すべては臨床のために頑張ろう。黙って態度で示す事が一番。プロセスは大事ですが、結果を伴うためのプロセスでないと。

2009年3月21日土曜日

別れから出会いへ

 木曜日は送別会でした。3人の退職者が出ます。会のほうは、全然重々しくなく、いつもと同じ感じで、なんか普通の飲み会になってしまった。でもやはり締めの挨拶の時には泣く人がけっこういた。別れは悲しいが、新しい出会いが待っている。出会えば、その人との縁がなくなるわけではない。
 別れは人の繋がりの輪がまた広がる事だ。別れた人はまた新天地で新しい出会いがある。その人と、話す事があれば、人の輪が広がる。そうやって徐々に拡大していく。当人同士にその気があればの話ですが。でも何か同じ匂いのする人間同士が惹かれていく。そして同士から同志へとなる。
 そういうような同志が大勢いる事が人間性を高めてくれるし、セラピストとして育ててくれる。お互いが同じ方向に向かって、同じ熱さで、切磋琢磨するような同志を増やしていきたい。
 だから別れは素晴らしい出会いに繋がっていると期待する。あまり悲しみは出ないし、退職した先生方がこれからどのようなセラピストになるか楽しみだ。理学療法士の世界は狭い世界だし、また、会うでしょう。その時のために自分も変わっておかないと。

2009年3月16日月曜日

外出

 おとつい、昨日、久しぶりに外出。本を購入しました。「アナトミートレイン」と「暴走する脳科学」どちらも楽しみです。片方は身体に関する本、もう片方は脳の本。どちらも大切で診ていかないといけない。
 とりあえず、読みます。来月からは大学院が始まるし、今月は学会の抄録を作成しないといけない。大忙しです。
 発表したり、他の人に自分の考えを外へ出していく事は重要だと思う。結果がでればOKと考える事も多いが、相手に伝えるためには、なぜ良くなったか、どのように仮説を立てたのかを詳細に組み立てる必要がある。普段から臨床で行わないといけないと思うが。そういう思考のトレーニングにうってつけかもしれない。臨床にいるとどうしても患者さんが良くなる、良くならないの結果に目が向いてしまう。確かに良くなる事が一番だけど、その過程が大切。一か八かでやってるわけではない。一人の患者さんを治療しているけれど、その先の患者さんも治療していると思う。それはずっと続いていく。その時にちゃんと考えているか、それはきっと未来の患者さんに繋がっていく。常に未来を意識しないといけないと思う。

2009年3月11日水曜日

学生さんからもらったもの

 学生さんが先週の金曜日に終了。お疲れ様でした。客観的に見ても、よー頑張ったと思います。ほとんど寝てないらしい。家でも病院でも。家で2時間ぐらい、臨床で眠たくてウトウトする姿も見ない。凄過ぎる。私も見習わないといけない。学生さんにはひたむきさをもらった。臨床では学ぶ事に貪欲でないといけないと思った。学んだものは患者さん達に還元できる。もう一度初心に帰らせてもらった。
 私が実習生の時はよく寝たような気がする。レポートもそこそこに臨床で気が張ってヘトヘトになり、夜は起きていられなかったような。学生の時を思い出すと色々なバイザーの先生方にお世話になった。その中でも自分の中で勝手に思っているのだが、師匠が何人かいる。今の自分を形成しているほとんどの部分になっていると思う。あの出会いがなければ、今の自分はいない。違う自分になっていたと思う。そう考えるとすべての出会いが今の自分をつくっていると思う。患者さんもバイザー、先輩、同僚、後輩もすべてだと思う。
 今回の学生さんにとってその中の一人になれたかどうか。彼にも色々な出会いがあるだろうし、それを彼自身が選択していくと思う。そして良いセラピストになってもらえれば、良い間と思う。臨床の中にも教育がある。それは最終的には患者さんが良くなるための一つの手段だと思う。間接的に患者さんを治療する事になる。学生さんを通して、考えを伝える事で間接的に。その一部になれれば良い。臨床の中でも教育、研究はあり、それは1つでも欠ければ、良い臨床を行えないと思う。すべてが治療に繋がる。すべてが患者さんのためにできれば。なかなかうまくいかない。
 人に教えていく、伝えていくという事は難しい。

2009年2月28日土曜日

未来予測

 明日の晴れが怖い。今日は雨だったから良かった。雨もっと降ってくれと願ってます。最近に花粉症を発症し、鼻水、目の痒さに泣かされています。花粉症は辛い。マスクをしていても昼頃になるとけだるくなって、鼻水が止まらなくなる。もっと調子が悪い時は、目まで痒くなる。集中力が削られる。集中しだすと気にならなくなりますが。
 学生さんは今日で2週目終了しました。よく頑張ってます。頑張りすぎて寝てない。寝ないと頭まわりませんよ。寝てはいけない時ってあると思います。おおげさだけど死ぬ気でやらないといけない事。でもそれは毎日ではやっていけない。本当に倒れてしまう。そうしないためには忙しさをコントロールする必要がある。そのために計画を立てて、こつこつやっていく。計画を立てるって事は、未来を予測する事。未来を見て、少しずつ積み立てていく事が大切。それでも駄目なら死ぬ気でやればいい。だからそうなるのは最後の手段。未来を予測するためには経験がそれを導いてくれる。過去の経験から人は学習する事ができる。それが違う経験でも。
 今の学生さんにはそういう能力をつけて欲しいと思う。真面目な事はとても良い事だが、効率良く、より多くの事を学ぶためにはそういった部分が重要だ。未来を見る事は、臨床でもきっと役に立つはず。
 えらそうな事を言っているが、自分も全然できていない。近くの目標から、遠い目標へ未来を見る人間になりたい。
 同じ時間を過ごすのであれば、よりいろんな事を吸収したい。そしてそれを自分以外の人たちに還元したい。
 

2009年2月22日日曜日

学生さん

 今週の初めから学生さんを担当する事になりました。私にとって担当するのは3人目の学生さんです。初日は凄く緊張してた様子で、こっちも一緒に緊張してしまっていました。この1週間でだんだん慣れてきて、表情が変化していくのを感じました。話せるような環境作りができたかなと思います。
 学生さんを担当する時はびくびくせずに話してもいいんだなって思える環境をこっちが整える必要があるなあと思います。1人の学生さんはそれで失敗して苦い思い出があります。非常に申し訳ないなあと後悔したので、反省を生かせればいいな。
 学生さんと患者さんを診ていると、いかに自分は臨床に手を抜いている点があるなあと感じます。もっと細かく観察し、治療を計画していかないと。この1週間考え通して、少し疲れ気味。セラピストにとっても学生さんの新鮮な目は刺激になる。気が引き締まる思いです。というか引き締めていかないと患者さんに申し訳ない。
 他者から治療を客観的に見られることは非常に大切。

2009年1月22日木曜日

仮説-検証作業

 今日は勉強会で、今帰宅しました。色んな勉強会に参加させてもらっているが、自分の考えがまとまっていないのが、強調される。あっちの勉強会ではこんな事で、こっちの勉強会はあんな事で、自分はどんな考えかいまいち分からない。ふらふらしている気がする。反論するぐらいの知識を持ち合わせていないのと思考できていない。だからあっちもこっちも分かる気がしてしまう。本当に分かった気だけだ。自分のものになっていない。勉強会に行くとそこが強調される。芯を持たないと。
 今日の勉強会は症例検討だった。非常に難しい症例で、思考が止まってしまった。パソコンで言うフリーズです。やはり主催の病院の先生は思考が循環する。どのように思考していくのか。ゴールを持って、そこに進んでいくような話し方だ。同じ文章を見てもあれだけ違う。勉強が必要と感じる。足りなさ過ぎる。自分は何も分かってないのではと感じる。
 今回勉強会で気付いた事、大切な事を書いておこうと思う。
 ①認知過程は細かく、小さなことでも捉える事が大切。ポジティブ、ネガティブ。
 ②自分がどのような言語介助をしたのか。
 ③上記と同じ事だが、なぜ問題が理解できるようになったのか。なぜエラーが生じるのかを認知過程の中で考えていく。
 ④そのために問題を立てる。仮説を検証する。
 ⑤どのようなパフォーマンスを変えていくかを考える。そのための認知過程を考える。
 もっと患者さんを細かく見ていく必要がある。外部と内部の整合性はもちろん、その後にどのように治療していくかが重要だ。それと目標。ちゃんとできていない。患者さんの負担が大きい治療をしてしまっていると感じる。
 仮説-検証作業を地道にやっていく事が重要。それと患者さんをよく診る事。口で言うのは簡単だけど、それしかない。自分を甘えさせない事。サボろうと思えばいつでもサボれる。そこに患者さんがいる事、生身の人を相手にしている事をいつも心に刻む必要がある。自分にも人生があるけど、その人にも人生がある。
 「自分から見て、一人の患者さんは多くの患者さんの中の一人だが、患者さんから見て、自分は唯一のセラピストである。」
 自分があきらめたら、誰がその人を治療していくんだろうか。
 科学として、仮説-検証作業を通して、患者さんとよりよい人生を歩めるようになりたい。

2009年1月17日土曜日

思考の整理

 最近は、病院での勉強会の資料作成で、てんやわんやしている。今まで自分が学んできた事の集約になるのかな。まとめるのに時間がかかる。経験してきた事が、繋がっていないからこんなに時間がかかるんだろう。資料を作成している間に自分の思考が整理され、気付きが生まれる。経験と経験の結び付きが、創発させる。関係性が大切。
 最近は、集中力がもたない。注意の持続がしんどい。思考にかなり時間がかかるからだろうか。昔の同僚に情動に流されすぎていると言われている事を思い出す。1つの事に気持のまま突っ走ってしまうから、記憶できるけど、判断したりとか他と比べる事ができない思考になっている。今回の資料作りでまともにそれが出ている。整理されていない。記憶がバラバラになっている。点と点になっている。線になっていない。患者さんもそうなのかな。色々な経験をしても点でばらばらとなっている。経験と経験を結び付けないと整理できない。新しい行為の方法は生まれないのかもしれない。
 思考の偏りがある。でも偏りがあるから人それぞれ、心が違うのかもしれない。整理できないといけないけど、しようとすると今の自分から変わる怖さもある。自分がシステムとして変化する時に怖さを感じる。予測できないからかもしれない。
 自分の変化を予測していく。未来を見ていく必要があるなあと感じる。

2009年1月11日日曜日

年明け

 年明け初めての投稿です。今年は凄く忙しくなりそうな予感。予感と言うより確信。今年はチャレンジの年になる。4月からは大学院へ進む。今から資料集めをしなければいけないが、全然進まず。非常にやばいです。焦らないように準備をしとかないと、予測しとかないと大混乱が待っている。
 今日、初詣に行ったが、学業は「目下苦しいがこれを乗り越えれば吉」との事。非常に今の心境に合致している。偶然は恐ろしい。さぁ、冬休みボケも解消して取り掛かろうと思う。今年は飛躍したい。一皮向けた自分に逢いたい。今見えてる世界からもう一歩踏み込んだ世界へ。先は見えないけど、着実に見える物を踏みしめて、目指す高みへ。
 頑張れるか不安です。