2009年1月22日木曜日

仮説-検証作業

 今日は勉強会で、今帰宅しました。色んな勉強会に参加させてもらっているが、自分の考えがまとまっていないのが、強調される。あっちの勉強会ではこんな事で、こっちの勉強会はあんな事で、自分はどんな考えかいまいち分からない。ふらふらしている気がする。反論するぐらいの知識を持ち合わせていないのと思考できていない。だからあっちもこっちも分かる気がしてしまう。本当に分かった気だけだ。自分のものになっていない。勉強会に行くとそこが強調される。芯を持たないと。
 今日の勉強会は症例検討だった。非常に難しい症例で、思考が止まってしまった。パソコンで言うフリーズです。やはり主催の病院の先生は思考が循環する。どのように思考していくのか。ゴールを持って、そこに進んでいくような話し方だ。同じ文章を見てもあれだけ違う。勉強が必要と感じる。足りなさ過ぎる。自分は何も分かってないのではと感じる。
 今回勉強会で気付いた事、大切な事を書いておこうと思う。
 ①認知過程は細かく、小さなことでも捉える事が大切。ポジティブ、ネガティブ。
 ②自分がどのような言語介助をしたのか。
 ③上記と同じ事だが、なぜ問題が理解できるようになったのか。なぜエラーが生じるのかを認知過程の中で考えていく。
 ④そのために問題を立てる。仮説を検証する。
 ⑤どのようなパフォーマンスを変えていくかを考える。そのための認知過程を考える。
 もっと患者さんを細かく見ていく必要がある。外部と内部の整合性はもちろん、その後にどのように治療していくかが重要だ。それと目標。ちゃんとできていない。患者さんの負担が大きい治療をしてしまっていると感じる。
 仮説-検証作業を地道にやっていく事が重要。それと患者さんをよく診る事。口で言うのは簡単だけど、それしかない。自分を甘えさせない事。サボろうと思えばいつでもサボれる。そこに患者さんがいる事、生身の人を相手にしている事をいつも心に刻む必要がある。自分にも人生があるけど、その人にも人生がある。
 「自分から見て、一人の患者さんは多くの患者さんの中の一人だが、患者さんから見て、自分は唯一のセラピストである。」
 自分があきらめたら、誰がその人を治療していくんだろうか。
 科学として、仮説-検証作業を通して、患者さんとよりよい人生を歩めるようになりたい。

2009年1月17日土曜日

思考の整理

 最近は、病院での勉強会の資料作成で、てんやわんやしている。今まで自分が学んできた事の集約になるのかな。まとめるのに時間がかかる。経験してきた事が、繋がっていないからこんなに時間がかかるんだろう。資料を作成している間に自分の思考が整理され、気付きが生まれる。経験と経験の結び付きが、創発させる。関係性が大切。
 最近は、集中力がもたない。注意の持続がしんどい。思考にかなり時間がかかるからだろうか。昔の同僚に情動に流されすぎていると言われている事を思い出す。1つの事に気持のまま突っ走ってしまうから、記憶できるけど、判断したりとか他と比べる事ができない思考になっている。今回の資料作りでまともにそれが出ている。整理されていない。記憶がバラバラになっている。点と点になっている。線になっていない。患者さんもそうなのかな。色々な経験をしても点でばらばらとなっている。経験と経験を結び付けないと整理できない。新しい行為の方法は生まれないのかもしれない。
 思考の偏りがある。でも偏りがあるから人それぞれ、心が違うのかもしれない。整理できないといけないけど、しようとすると今の自分から変わる怖さもある。自分がシステムとして変化する時に怖さを感じる。予測できないからかもしれない。
 自分の変化を予測していく。未来を見ていく必要があるなあと感じる。

2009年1月11日日曜日

年明け

 年明け初めての投稿です。今年は凄く忙しくなりそうな予感。予感と言うより確信。今年はチャレンジの年になる。4月からは大学院へ進む。今から資料集めをしなければいけないが、全然進まず。非常にやばいです。焦らないように準備をしとかないと、予測しとかないと大混乱が待っている。
 今日、初詣に行ったが、学業は「目下苦しいがこれを乗り越えれば吉」との事。非常に今の心境に合致している。偶然は恐ろしい。さぁ、冬休みボケも解消して取り掛かろうと思う。今年は飛躍したい。一皮向けた自分に逢いたい。今見えてる世界からもう一歩踏み込んだ世界へ。先は見えないけど、着実に見える物を踏みしめて、目指す高みへ。
 頑張れるか不安です。