またまた、久しぶりの更新です。
ここ最近、臨床が忙しく、色々なやらないといけないことに手をつけられていません。
臨床にいると、患者さんの色々な訴えがあります。
「家になんとかして帰りたい」とか「痛くて、夜寝られない」、「どうにかして歩きたい」などなど。
当たり前のことですが、しっかり患者さんの声に耳を傾けないといけないと思う。
不安や先が見えない未来がある。
最近、症状が重い患者さんを持つからか、非常に身を持って感じる。
なんとかしないといけないことがある。
臨床はスマートにいかないものだと思う。
できれば、すべての患者さんの希望を叶えたいし、すべての患者さんを前と同じ機能に戻したい。
そうはなかなか現実いかない。
もっと現実を見ないといけないし、自分の治療をもっと理想に近づけないといけない。
臨床も研究も頑張ろう。
2009年8月25日火曜日
2009年8月15日土曜日
権利と義務
月曜日は講演会があり、参加してきた。
セラピストと政治。
関係はあると思うが、政治に対して組織の末端の私がどこまで関与できるのかと思った。
組織の幹部が政治を通して、変えていこうとしていることは知っておくべきだとは思った。
それにどのようにして、それが行われているかも知る必要がある。
講演でも言われていたが、私ができることは、ただ、セラピストがセラピストとして、患者さんに向き合っていけば良いというシンプルなものではないかと思った。
組織がどのような方向に動いているかを知り、その上で、自分のやるべきことをすればいい。
逆にセラピストは政治に対して、何か言えるような成果を出してきているのかとも思った。
権利と義務がある。
権利ばかりを求めると義務が大きくなる。
その大きな義務に、応えるだけの力量があるセラピストが多くいるだろうか。
自分はその大きな義務を背負いきれないような気がする。
治療という形で、患者さんに還元できるだろうか。
それが、セラピストの背負わないといけない義務だ。
一歩ずつ進まないといけない。
理学療法のあり方も考える必要があるのではないかと思う。
理学療法士の立場と共に、どうあるべきかを考え直すいい機会ではないか。
前に進まないといけない。
私も自分の立場で理学療法、理学療法士を考え直そうと思う。
ただ、非常に難しい。
私の理想的な治療を今、私ができるとは到底思えない。
まだまだ、知らないことがたくさんある。
ちょっと嫌になります。
セラピストと政治。
関係はあると思うが、政治に対して組織の末端の私がどこまで関与できるのかと思った。
組織の幹部が政治を通して、変えていこうとしていることは知っておくべきだとは思った。
それにどのようにして、それが行われているかも知る必要がある。
講演でも言われていたが、私ができることは、ただ、セラピストがセラピストとして、患者さんに向き合っていけば良いというシンプルなものではないかと思った。
組織がどのような方向に動いているかを知り、その上で、自分のやるべきことをすればいい。
逆にセラピストは政治に対して、何か言えるような成果を出してきているのかとも思った。
権利と義務がある。
権利ばかりを求めると義務が大きくなる。
その大きな義務に、応えるだけの力量があるセラピストが多くいるだろうか。
自分はその大きな義務を背負いきれないような気がする。
治療という形で、患者さんに還元できるだろうか。
それが、セラピストの背負わないといけない義務だ。
一歩ずつ進まないといけない。
理学療法のあり方も考える必要があるのではないかと思う。
理学療法士の立場と共に、どうあるべきかを考え直すいい機会ではないか。
前に進まないといけない。
私も自分の立場で理学療法、理学療法士を考え直そうと思う。
ただ、非常に難しい。
私の理想的な治療を今、私ができるとは到底思えない。
まだまだ、知らないことがたくさんある。
ちょっと嫌になります。
2009年8月8日土曜日
セラピストのやりがい
この1週間、時間に追われて何もできていません。
夏休みに立て直そうと思っていたのに。
時間って何もしなくても過ぎます。
同じ時間過ごすなら、有意義に過ごさないと。
「疲れた。」とか「しんどい。」とか言ってる間に少しでも得られるものがあるはず。
気持ちの持ちよう次第だと思う。
どうその課題に自分が取り組むか。
これは生涯学んでいく必要がある理学療法士の立場でも同じだと思う。
理学療法士は、勉強しなくてもやっていける職業だとつくづく思う。
どのような治療をしても1単位は1単位だ。
20分治療すれば、金銭的なことが発生する。
質を求められていない。
そのような状況が、結局単位を求められ、治療した数、時間を求められるようになってしまうのかもしれない。
リハの空気として、経営に傾きすぎているのではないかと思う。
確かにマネージメントはある程度必要ではあるが、その前に、治療を行うといった仕事がある。
治療を行う、よりよい治療を提供するという観点での話し合いは非常に少ない。
なぜ、金銭的なことが発生するのか立ち戻らないといけない。
私たちが提供することは治療である。
時間をただ共有することではない。
そのためには学んでいくことが必要だ。
学んだことが、患者さんの回復につながったと感じた時、セラピストは、金銭で得られないものをもらえると思う。
それが手応えであり、嬉しさであり、理学療法の楽しさであると私は思う。
今日は、文献を検索し、レビュー頑張ります。
この1週間を取り戻そう
夏休みに立て直そうと思っていたのに。
時間って何もしなくても過ぎます。
同じ時間過ごすなら、有意義に過ごさないと。
「疲れた。」とか「しんどい。」とか言ってる間に少しでも得られるものがあるはず。
気持ちの持ちよう次第だと思う。
どうその課題に自分が取り組むか。
これは生涯学んでいく必要がある理学療法士の立場でも同じだと思う。
理学療法士は、勉強しなくてもやっていける職業だとつくづく思う。
どのような治療をしても1単位は1単位だ。
20分治療すれば、金銭的なことが発生する。
質を求められていない。
そのような状況が、結局単位を求められ、治療した数、時間を求められるようになってしまうのかもしれない。
リハの空気として、経営に傾きすぎているのではないかと思う。
確かにマネージメントはある程度必要ではあるが、その前に、治療を行うといった仕事がある。
治療を行う、よりよい治療を提供するという観点での話し合いは非常に少ない。
なぜ、金銭的なことが発生するのか立ち戻らないといけない。
私たちが提供することは治療である。
時間をただ共有することではない。
そのためには学んでいくことが必要だ。
学んだことが、患者さんの回復につながったと感じた時、セラピストは、金銭で得られないものをもらえると思う。
それが手応えであり、嬉しさであり、理学療法の楽しさであると私は思う。
今日は、文献を検索し、レビュー頑張ります。
この1週間を取り戻そう
2009年8月1日土曜日
自分を見つめ直す、そして再考
前期試験が終了し、夏休みに突入です。
この夏休みが、遅れを取り戻すチャンスです。
他の院生達は着々と進んでいる感じがします。
この1カ月で追いつけるかは分かりませんが、できることをしようと思います。
それに臨床もやや力が抜けている感があります。
もう一度自分を立て直そう。
この一年が自分を大きく変える予感がします。
別れ道なのかも、良い方向へ最善の努力をしよう。
今日は、久しぶりにゆっくり、近くで花火大会があったようで、ベランダからずっと眺めてぼぉーとしていました。
花火って視覚的にも綺麗だけど、音が凄い気持ち良いなあと思いながら、夏を感じ、気力回復です。
臨床では新人さんが奮闘中で、少しでも手助けできれば。
自分の概念にとらわれていると、狭い世界でしか、患者さんを診られない。
診方を変えれば、治療の方法も見つかる。
治療が広がる。
純粋に理学療法士としてではなく、一セラピストとして関わってほしい。
理学療法士として、運動を改善していくことはもちろんだけど、運動の裏に隠されている知覚を感じ取って欲しい。
現象がなぜ起こるのか、本当にそれは阻害因子なのか、よく考え、よく学んでほしい。
患者さんをどうにか治したいという気持ちが最大の原動力だと思う。
彼女が、その患者さんの治療のこと話している時の笑顔が印象的だった。
自分のもやもやが少しずつ解消されてきている。
患者さんが良くなりそうな手ごたえを感じている笑顔だった。ように私は感じる。
ある一定の知識で概念化してしまってしまうと、他の概念でものが見えなくなってしまう。
純粋に現象をとらえ、現在言われていることを文献や本によって見直すことが必要だ。
自分の枠を超える必要がある。
それには、物事を概念化せず、見たまま、感じたまま、インスピレーションを大切にすることだ。
そこにサイエンスを加える。
その裏付けはきっとあるはず。
見つけるまで、探さないといけない。
こんなに多くの研究がされているのだからそれを探索し、生かす必要がある。
世界は自分が思っているより広い。
それはどんでもなく広く、深い。
この夏休みが、遅れを取り戻すチャンスです。
他の院生達は着々と進んでいる感じがします。
この1カ月で追いつけるかは分かりませんが、できることをしようと思います。
それに臨床もやや力が抜けている感があります。
もう一度自分を立て直そう。
この一年が自分を大きく変える予感がします。
別れ道なのかも、良い方向へ最善の努力をしよう。
今日は、久しぶりにゆっくり、近くで花火大会があったようで、ベランダからずっと眺めてぼぉーとしていました。
花火って視覚的にも綺麗だけど、音が凄い気持ち良いなあと思いながら、夏を感じ、気力回復です。
臨床では新人さんが奮闘中で、少しでも手助けできれば。
自分の概念にとらわれていると、狭い世界でしか、患者さんを診られない。
診方を変えれば、治療の方法も見つかる。
治療が広がる。
純粋に理学療法士としてではなく、一セラピストとして関わってほしい。
理学療法士として、運動を改善していくことはもちろんだけど、運動の裏に隠されている知覚を感じ取って欲しい。
現象がなぜ起こるのか、本当にそれは阻害因子なのか、よく考え、よく学んでほしい。
患者さんをどうにか治したいという気持ちが最大の原動力だと思う。
彼女が、その患者さんの治療のこと話している時の笑顔が印象的だった。
自分のもやもやが少しずつ解消されてきている。
患者さんが良くなりそうな手ごたえを感じている笑顔だった。ように私は感じる。
ある一定の知識で概念化してしまってしまうと、他の概念でものが見えなくなってしまう。
純粋に現象をとらえ、現在言われていることを文献や本によって見直すことが必要だ。
自分の枠を超える必要がある。
それには、物事を概念化せず、見たまま、感じたまま、インスピレーションを大切にすることだ。
そこにサイエンスを加える。
その裏付けはきっとあるはず。
見つけるまで、探さないといけない。
こんなに多くの研究がされているのだからそれを探索し、生かす必要がある。
世界は自分が思っているより広い。
それはどんでもなく広く、深い。
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