感覚と言う言葉を聞いてどのようなことを連想しますか?
一般的に理学療法士や作業療法士が行っているような手や足を触ったり、関節を動かしたりする感覚検査を思い浮かべますか?
ふだん私達が、使用している「感覚」という言葉は、それだけで説明できるのでしょうか?
例えば、自分が新しい運動や新しいスキルを練習している時に感じる「感覚」っていうのは、感覚ではないのでしょうか?
もう一度あの感覚を経験したいというのは、感覚ではないのでしょうか?
セラピストは、感覚=感覚検査になってはいないでしょうか?
一般的な感覚が失われているような気がします。
セラピストの中の統一された言語の枠組みだけで考えていないでしょうか。
確かに専門用語は大切ですが、先入観で物事を見ていないかなと思います。
ちなみに感覚検査ではなく、教科書には知覚検査と表記されています。
知覚ももっと運動のように細かくわけていけないのでしょうか?
知覚検査と言われているものは、あまり能動的とは言えないように思います。
能動的というのは、積極的に思考するということです。
運動すること、動くこととは別です。
例えば、2つの中に違いを見つけることや予想することです。
また、運動が伴う場合の感覚はどうでしょうか。
感覚検査と同じ感じ方にならないと思います。
そうやって感覚というものを細かく分けていくと、運動に近づいてくるような気がします。
感覚という言葉に騙されているのかもしれません。
それは今までの固定概念や先入観のせいだと思います。
もう一度、意味を考えないといけないと思いました。
とこのような話を後輩と話していました。
先入観とか固定概念は崩さないといけないと思います。
一つの考え方から抜け出すというのは凄く難しいことだと思います。
私も一つの考え方からこのように考えています。
常に違う視点からも考える必要がある。
2009年11月24日火曜日
2009年11月22日日曜日
理学療法士像
今週はほとんど、何にもできていない。
特に文献を訳すことが進んでいない。
先週が忙しく疲れたからか。
その変わり、職場のスタッフと話す機会が多かったような。
後輩の悩みやら、新しく入ったスタッフとの知識交換。
最近は臨床もある程度落ち着き、考えられているような気がする。
そう言っても全然駄目ですが。
もっと勉強しないと。
若いスタッフと話していると価値観が多様化していると思う。
同じ理学療法士でも、求める生活は違う。
何が一番になるのか。
家族での役割なのか、治療者としての役割なのか、自分の生活スタイルなのかなど、順位付けが複雑。
この中でも複雑に、もっと細かく分かれる。
言い表せないぐらい複雑だと思う。
それは人だから各々だとは思うが、理学療法士像としてはどうなるのだろうか。
情報が多すぎるし、選択肢が多いから本来あるはずの軸がブレてしまうと思う。
軸って言うのは、理学療法士像だと思う。
理学療法士としてどうあるべきかということが置き去りになって、自分が先行してしまっているような気がする。
実習生もそんな人が多いような気がする。
自分はこうなりたいとか、目標がないような。
理学療法士像がない。
それはなんとなくでも良いと思う。
臨床に出て、色んな人に会うとその像は、くっきりしてくると思う。
私自身も、理学療法士像をなんとなくしか持てていない。
治療者であることが、一番であると思うし、常に新しい知識を持とうとすること、そこから創造できる理学療法士でありたい。
目標となるセラピストはたくさんいるし、自分がその人と同じ年になる時には、その人を超えていないといけないと思う。
それが、理学療法が進歩することだと思う。
医療は進歩するものだから、知識が昔より得やすくなる。
だからこそ、後からセラピストになったものは、以前のセラピストを超える必要がある。
知識が得やすくなったからといって、怠慢になってはいけない。
もっと上を目指さないといけない。
大きなことを言っているが、毎日を一歩一歩頑張っていこうと思う。
色んな事があって、そんなことを考えた1週間でした。
今日からまた、文献レビュー頑張ります。
特に文献を訳すことが進んでいない。
先週が忙しく疲れたからか。
その変わり、職場のスタッフと話す機会が多かったような。
後輩の悩みやら、新しく入ったスタッフとの知識交換。
最近は臨床もある程度落ち着き、考えられているような気がする。
そう言っても全然駄目ですが。
もっと勉強しないと。
若いスタッフと話していると価値観が多様化していると思う。
同じ理学療法士でも、求める生活は違う。
何が一番になるのか。
家族での役割なのか、治療者としての役割なのか、自分の生活スタイルなのかなど、順位付けが複雑。
この中でも複雑に、もっと細かく分かれる。
言い表せないぐらい複雑だと思う。
それは人だから各々だとは思うが、理学療法士像としてはどうなるのだろうか。
情報が多すぎるし、選択肢が多いから本来あるはずの軸がブレてしまうと思う。
軸って言うのは、理学療法士像だと思う。
理学療法士としてどうあるべきかということが置き去りになって、自分が先行してしまっているような気がする。
実習生もそんな人が多いような気がする。
自分はこうなりたいとか、目標がないような。
理学療法士像がない。
それはなんとなくでも良いと思う。
臨床に出て、色んな人に会うとその像は、くっきりしてくると思う。
私自身も、理学療法士像をなんとなくしか持てていない。
治療者であることが、一番であると思うし、常に新しい知識を持とうとすること、そこから創造できる理学療法士でありたい。
目標となるセラピストはたくさんいるし、自分がその人と同じ年になる時には、その人を超えていないといけないと思う。
それが、理学療法が進歩することだと思う。
医療は進歩するものだから、知識が昔より得やすくなる。
だからこそ、後からセラピストになったものは、以前のセラピストを超える必要がある。
知識が得やすくなったからといって、怠慢になってはいけない。
もっと上を目指さないといけない。
大きなことを言っているが、毎日を一歩一歩頑張っていこうと思う。
色んな事があって、そんなことを考えた1週間でした。
今日からまた、文献レビュー頑張ります。
2009年11月6日金曜日
後悔しないように計画を
昨日は、日本理学療法学術集会の締め切り日でした。
抄録を学会に間に合わす予定で、とった休みが、文献を読む日になるとは。
結局、研究は間に合わず、今回はエントリーを見送ることになってしまいました。
計画を立てないといけないなあ。
計画も、今すぐやることと、後のことを考えて立てるものを分けて考えていかないといけないです。
やはりテンパってしまうと、計画どころではない自分です。
あわてず、確実に一つずつ、計画していこう。
計画と言えば、やっと研究の方向性が見えてきたのですが、その方向性のラインには、前の学会発表の時に、声をかけて頂いた先生の研究がありました。
なのでお勧めの文献はすぐに見つかりました。
これ学会から帰って、すぐ読んでおけば良かったのに。
後悔です。
ちゃんと名刺貰っとけばよかった。
これも後悔です。
これも一期一会です。
出会いを結び付けられなかった感があります。
まさか自分がそのラインで研究するとは夢にも思っていませんでしたから。
人との結びつきは必ず自分のプラスに向かいます。
一期一会を合言葉に積極的にならないといけないと痛感します。
もう少し社交的になろう。
自分の意見が言えるようになろう。
良い意味で空気を読まないようになろう。
最近、研究のことばかりなので、臨床のことも書かないとなと思います。
自分の居場所はもちろん臨床なので、臨床抜きでは、本末転倒です。
忙しいけど充実してきたのかな。
抄録を学会に間に合わす予定で、とった休みが、文献を読む日になるとは。
結局、研究は間に合わず、今回はエントリーを見送ることになってしまいました。
計画を立てないといけないなあ。
計画も、今すぐやることと、後のことを考えて立てるものを分けて考えていかないといけないです。
やはりテンパってしまうと、計画どころではない自分です。
あわてず、確実に一つずつ、計画していこう。
計画と言えば、やっと研究の方向性が見えてきたのですが、その方向性のラインには、前の学会発表の時に、声をかけて頂いた先生の研究がありました。
なのでお勧めの文献はすぐに見つかりました。
これ学会から帰って、すぐ読んでおけば良かったのに。
後悔です。
ちゃんと名刺貰っとけばよかった。
これも後悔です。
これも一期一会です。
出会いを結び付けられなかった感があります。
まさか自分がそのラインで研究するとは夢にも思っていませんでしたから。
人との結びつきは必ず自分のプラスに向かいます。
一期一会を合言葉に積極的にならないといけないと痛感します。
もう少し社交的になろう。
自分の意見が言えるようになろう。
良い意味で空気を読まないようになろう。
最近、研究のことばかりなので、臨床のことも書かないとなと思います。
自分の居場所はもちろん臨床なので、臨床抜きでは、本末転倒です。
忙しいけど充実してきたのかな。
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