2009年12月31日木曜日

変わり目、区切り目

 年末ですが、私は昨日、今日共にいつもと変わりなく、同じ時間に起床。
 院の授業をほとんど受けていないため、授業の録画をただひたすら見る。
 けっこう疲れます。
 こんな年末はおそらく初めてで、いつもはだらだらと過ごすことばかりでした。
 なんか今年は年が終わる時まで、いつもの自分と違う生活リズムでした。

 今年は大きな変化があった年だったと思います。
 2つの学会へ発表。
 大学院への進学。
 どちらも自分にとって、大きな一歩です。
 自分でも分かるぐらい、変化したことを感じられます。

 以前よりも冷静に物事を解釈できてきているような気がします。
 以前は、気持ちが先行して、結局何をしていいのかはっきりせず、行動として起こせていない状態でしたが、少しはどのように考え、行動すればいいのかは、明確になってきたのかなと思います。
 うまくは言えないですが、大きな壁が見えるだけでなく、実際登らないといけないという実感が湧いた感がします。
 その壁が今まで遠くから見ていたよりも遥かにスケールが大きいし、底が知れないという感じです。
 ただ登っている自分はイメージできるようになりました。

 世界観が変わって、目を外へ向けなくてはいけない状態に変化してきています。
 外へ自分を向けるということは、自分の中身がどのように評価されるか分かる時だと思います。
 まだ、自分の研究者としての部分は外へは出ていませんが、来年はドンドンOut putできるようにしたい。
 研究者っていうのも、恐れ多いですが、プチ研究者として頑張ります。
 そして臨床でも結果が出せるように、あきらめないようにしていきたい。
 志は大きく、考えは綿密に、行動は素早く。
 もう一皮むけた自分に出会えるようにしていきたいです。

 明日は今年最後の日ですが、同じように過ごすと思います。
 なんとも区切りがない生活です。

2009年12月28日月曜日

プチ忘年会

 今日は、研究のため大学へ。
 まだまだ実験の前の段階、準備段階です。
 後輩と二人、ずっと研究室にこもり、ひたすら実験の準備です。
 後輩には感謝の気持ちです。
 休みの日にこれだけ長く付き合ってくれる人はいません。
 良い後輩を持ちました。
 結局、プレまでは行けず、あっという間に、外は真っ暗。
 今年にはプレ実験を始める予定だったのにできず。
 来年に持ち越しです。
 やるしかない。

 夜は後輩と今年は濃厚で長い年だったと一年を振り返りながら、お酒を交わしました。
 プチ忘年会となり、名残り惜しく、帰宅。
 
 だらだらしているとこの時間となりました。
 年末年始は、シャキッとしないと。
 今年を振り返り、来年に向けて計画を立てよう。

2009年12月26日土曜日

休みの日

 今日は年賀状を書いて、若干の現実逃避です。
 昨日は病院のリハ室で勉強会を主催したためやや疲れ気味です。
 今日ぐらいは休もうと思い、明日から頑張ります。
 昨日の勉強会はというと、相変わらず話の脈絡がなく、眠たい勉強会になってしまいました。
 どうも話すことが上手くできない。
 いつもいつも、目が輝くような話をできないでいる。
 自分の話し方が改善できていないのかな。
 相手に伝わらないと意味がない。

 だいたいいつも勉強会を行った後は自己嫌悪です。
 コミュニケーション下手なのを直さないといけないと思います。
 なんとかならないものか。

 最近、愚痴が多くなってきているような気がします。
 自分に必要なのは行動力と前向きな気持ちだろうなと思います。

2009年12月18日金曜日

患者さんが退院する時に思うこと

 今日は、一気に患者さんが4人も退院。
 4人とも笑って退院できそうです。
 ほっと思いながらも、この後、患者さんたちはどんな人生を歩んでいくんだろうかと思う。
 理学療法士は患者さんの人生の一部でしか仕事をしない。
 自分の目の前からいなくなった患者さんの後は、分からない。
 
 いつも気になる。
 特に治療がうまくいかなかった患者さんや機能障害が残っている患者さんの退院のときには。
 どこまで良くなれば、リハビリテーションは終了できるのだろうか。
 歩けたら?、生活できたら?、以前と同じ状態に戻れたら?
 何が答えになるんだろうか。
 以前と同じ状態っていうことは治るを意味するが、私は治すことが出来た人が一人でもいるんだろうか。
 リハビリテーションが、治療できるように、終了できるようになる日はくるんだろうか。
 人を治療していくことの難しさを痛感する。 

2009年12月17日木曜日

睡魔睡魔

 最近家に帰ると眠たい。
 文献を読まないといけないし、研究のデザインも詰めないといけないが、眠い。
 異常なほどの睡魔に襲われています。
 ここ最近、ずっとこの悪循環。
 しゃきっとしないといけない。
 なんか変な安心感があるのか。
 もう少し危機感をもってやろうと思います。

 英文の方は、ぼちぼち読んでますが、まだまだペース遅いなあ。
 今はラバーハンド関連の文献を読んでいます。
 もう少し文献を読んだら詳細を紹介できたらと思っています。

 しかし、なんでこんなに眠たいのだろう。
 気合い入れて頑張らないとなあ。

2009年12月16日水曜日

分からない時は、どこまで分かっているか考えることが近道です

「分からないと言うことは簡単だが、どこまでが分からないのか、どこまでが分かるのかを考えろ。全部分からないわけではないだろ。」
 私が実習に行った時にバイザーに言われた言葉です。
 1年目の新人さんと話していた時に、この言葉を思い出した。
 分かるということは、分けるということである。
 何かと何かの違いを分けることができること。
 ただ、分かるということは、すべてを分けるということにはいかない。
 ある一定の範囲が分けられるようになった時に分かったと感じるのだと思う。
 だから知識にしろ運動にしろ分かる部分があれば、分からない部分があるのだと思う。
 理学療法も同じだと思う。
 分からないことを分からないと言ってしまうと、その分かる部分がすべてなくなってしまう。
 実はある範囲まで分かっていて、思考ができるのに。
 分からないって言ってしまうことは、楽である。
 思考を停止して、人に聞けばいいだけ。
 受け身だ。
 分かる部分が分かるからこそ、分からない部分を知ろうとするのだと思う。
 私はバイザーにそういうことを教えてもらったのだと感じた。
 新人さんも分かることを積み上げて欲しいと思う。
 人に聞いても分からない。
 それは自分の経験ではない。
 自分の分かることと組み合さないといけない。
 思考することを停止してはいけないと思う。
 患者さんにも言われました。
 「先生の言っていることに分からないことがある時があって、自分なりにどういうことか考えてみて、身体を動かしています。その時に先生が言ってたことはこういうことだったのかなって思う。」
 私の指導、援助の仕方が足りないせいで、患者さんが理解できないということが生じてしまっています。
 もっと分かりやすく、教えられるように努力したいと思います。
 私が言いたいのは、患者さんも分かる部分と分からない部分を結び付けることをしているのだということです。

 何かを学習するということは、分かることと分からないことを結びつけて、つなげることのような気がします。
 私も分からないことをもう一度考え直していこうと思います。

2009年12月6日日曜日

勉強会へ参加

 久しぶりに勉強会へ参加してきました。
 勉強会って言っても学会です。
 日本光脳機能イメージング研究会の学会です
 この研究会ではNIRSを使用した研究がテーマとなっています。
 私もおそらくNIRSを使用して研究を行っていくため参加しました。
 意気込んで行ったのは良いのですが、道に迷い、15分ほど遅刻。
 完全に出鼻をくじかれました。

 午前は教育講演があり、NIRSの初心者である私でも非常に分かりやすかったです。
 ただ、私の知識では、ディスカッションできるレベルではないなあと話を聞いていて感じました。
 やはり使用する機器を知る必要はあり、データの意味の理解ということは重要だと考えます。
 自分が行っている研究の意味は最低限知っておかないといけない。
 もっと勉強しないといけないなあと感じました。

 午後からは演題発表があり、色んな職種の方が、発表されており、初めての感覚でした。
 脳イメージングであるNIRSを使用するという1点でつながり、言語関係者、医療関係者、発達系の関係者など違う分野の人達の考え方を聞くことは新鮮でした。
 時間知覚の発表があり、これは少しリハで使用できるのではないかと非常に興味深かったです。
 短時間知覚は視交叉上核、前頭葉、頭頂葉、大脳基底核のシステムによって、認識されているようです。
 こんな知覚が研究されていたんだと思いました。
 文献調べる必要があるなあ。

 明日も勉強会の参加で大阪に行きます。
 楽しみです。