2009年12月18日金曜日

患者さんが退院する時に思うこと

 今日は、一気に患者さんが4人も退院。
 4人とも笑って退院できそうです。
 ほっと思いながらも、この後、患者さんたちはどんな人生を歩んでいくんだろうかと思う。
 理学療法士は患者さんの人生の一部でしか仕事をしない。
 自分の目の前からいなくなった患者さんの後は、分からない。
 
 いつも気になる。
 特に治療がうまくいかなかった患者さんや機能障害が残っている患者さんの退院のときには。
 どこまで良くなれば、リハビリテーションは終了できるのだろうか。
 歩けたら?、生活できたら?、以前と同じ状態に戻れたら?
 何が答えになるんだろうか。
 以前と同じ状態っていうことは治るを意味するが、私は治すことが出来た人が一人でもいるんだろうか。
 リハビリテーションが、治療できるように、終了できるようになる日はくるんだろうか。
 人を治療していくことの難しさを痛感する。 

2009年12月17日木曜日

睡魔睡魔

 最近家に帰ると眠たい。
 文献を読まないといけないし、研究のデザインも詰めないといけないが、眠い。
 異常なほどの睡魔に襲われています。
 ここ最近、ずっとこの悪循環。
 しゃきっとしないといけない。
 なんか変な安心感があるのか。
 もう少し危機感をもってやろうと思います。

 英文の方は、ぼちぼち読んでますが、まだまだペース遅いなあ。
 今はラバーハンド関連の文献を読んでいます。
 もう少し文献を読んだら詳細を紹介できたらと思っています。

 しかし、なんでこんなに眠たいのだろう。
 気合い入れて頑張らないとなあ。

2009年12月16日水曜日

分からない時は、どこまで分かっているか考えることが近道です

「分からないと言うことは簡単だが、どこまでが分からないのか、どこまでが分かるのかを考えろ。全部分からないわけではないだろ。」
 私が実習に行った時にバイザーに言われた言葉です。
 1年目の新人さんと話していた時に、この言葉を思い出した。
 分かるということは、分けるということである。
 何かと何かの違いを分けることができること。
 ただ、分かるということは、すべてを分けるということにはいかない。
 ある一定の範囲が分けられるようになった時に分かったと感じるのだと思う。
 だから知識にしろ運動にしろ分かる部分があれば、分からない部分があるのだと思う。
 理学療法も同じだと思う。
 分からないことを分からないと言ってしまうと、その分かる部分がすべてなくなってしまう。
 実はある範囲まで分かっていて、思考ができるのに。
 分からないって言ってしまうことは、楽である。
 思考を停止して、人に聞けばいいだけ。
 受け身だ。
 分かる部分が分かるからこそ、分からない部分を知ろうとするのだと思う。
 私はバイザーにそういうことを教えてもらったのだと感じた。
 新人さんも分かることを積み上げて欲しいと思う。
 人に聞いても分からない。
 それは自分の経験ではない。
 自分の分かることと組み合さないといけない。
 思考することを停止してはいけないと思う。
 患者さんにも言われました。
 「先生の言っていることに分からないことがある時があって、自分なりにどういうことか考えてみて、身体を動かしています。その時に先生が言ってたことはこういうことだったのかなって思う。」
 私の指導、援助の仕方が足りないせいで、患者さんが理解できないということが生じてしまっています。
 もっと分かりやすく、教えられるように努力したいと思います。
 私が言いたいのは、患者さんも分かる部分と分からない部分を結び付けることをしているのだということです。

 何かを学習するということは、分かることと分からないことを結びつけて、つなげることのような気がします。
 私も分からないことをもう一度考え直していこうと思います。

2009年12月6日日曜日

勉強会へ参加

 久しぶりに勉強会へ参加してきました。
 勉強会って言っても学会です。
 日本光脳機能イメージング研究会の学会です
 この研究会ではNIRSを使用した研究がテーマとなっています。
 私もおそらくNIRSを使用して研究を行っていくため参加しました。
 意気込んで行ったのは良いのですが、道に迷い、15分ほど遅刻。
 完全に出鼻をくじかれました。

 午前は教育講演があり、NIRSの初心者である私でも非常に分かりやすかったです。
 ただ、私の知識では、ディスカッションできるレベルではないなあと話を聞いていて感じました。
 やはり使用する機器を知る必要はあり、データの意味の理解ということは重要だと考えます。
 自分が行っている研究の意味は最低限知っておかないといけない。
 もっと勉強しないといけないなあと感じました。

 午後からは演題発表があり、色んな職種の方が、発表されており、初めての感覚でした。
 脳イメージングであるNIRSを使用するという1点でつながり、言語関係者、医療関係者、発達系の関係者など違う分野の人達の考え方を聞くことは新鮮でした。
 時間知覚の発表があり、これは少しリハで使用できるのではないかと非常に興味深かったです。
 短時間知覚は視交叉上核、前頭葉、頭頂葉、大脳基底核のシステムによって、認識されているようです。
 こんな知覚が研究されていたんだと思いました。
 文献調べる必要があるなあ。

 明日も勉強会の参加で大阪に行きます。
 楽しみです。

2009年11月24日火曜日

感覚ってなんなのか。

 感覚と言う言葉を聞いてどのようなことを連想しますか?
 一般的に理学療法士や作業療法士が行っているような手や足を触ったり、関節を動かしたりする感覚検査を思い浮かべますか?
 ふだん私達が、使用している「感覚」という言葉は、それだけで説明できるのでしょうか?
 例えば、自分が新しい運動や新しいスキルを練習している時に感じる「感覚」っていうのは、感覚ではないのでしょうか?
 もう一度あの感覚を経験したいというのは、感覚ではないのでしょうか?
 セラピストは、感覚=感覚検査になってはいないでしょうか?
 一般的な感覚が失われているような気がします。
 セラピストの中の統一された言語の枠組みだけで考えていないでしょうか。
 確かに専門用語は大切ですが、先入観で物事を見ていないかなと思います。
 ちなみに感覚検査ではなく、教科書には知覚検査と表記されています。
 知覚ももっと運動のように細かくわけていけないのでしょうか?
 知覚検査と言われているものは、あまり能動的とは言えないように思います。
 能動的というのは、積極的に思考するということです。
 運動すること、動くこととは別です。
 例えば、2つの中に違いを見つけることや予想することです。
 また、運動が伴う場合の感覚はどうでしょうか。
 感覚検査と同じ感じ方にならないと思います。
 そうやって感覚というものを細かく分けていくと、運動に近づいてくるような気がします。
 
 感覚という言葉に騙されているのかもしれません。
 それは今までの固定概念や先入観のせいだと思います。
 もう一度、意味を考えないといけないと思いました。

 とこのような話を後輩と話していました。
 先入観とか固定概念は崩さないといけないと思います。
 一つの考え方から抜け出すというのは凄く難しいことだと思います。
 私も一つの考え方からこのように考えています。

 常に違う視点からも考える必要がある。

2009年11月22日日曜日

理学療法士像

 今週はほとんど、何にもできていない。
 特に文献を訳すことが進んでいない。
 先週が忙しく疲れたからか。
 その変わり、職場のスタッフと話す機会が多かったような。
 後輩の悩みやら、新しく入ったスタッフとの知識交換。
 最近は臨床もある程度落ち着き、考えられているような気がする。
 そう言っても全然駄目ですが。
 もっと勉強しないと。
 
 若いスタッフと話していると価値観が多様化していると思う。
 同じ理学療法士でも、求める生活は違う。
 何が一番になるのか。
 家族での役割なのか、治療者としての役割なのか、自分の生活スタイルなのかなど、順位付けが複雑。
 この中でも複雑に、もっと細かく分かれる。
 言い表せないぐらい複雑だと思う。
 それは人だから各々だとは思うが、理学療法士像としてはどうなるのだろうか。
 情報が多すぎるし、選択肢が多いから本来あるはずの軸がブレてしまうと思う。
 軸って言うのは、理学療法士像だと思う。
 理学療法士としてどうあるべきかということが置き去りになって、自分が先行してしまっているような気がする。
 実習生もそんな人が多いような気がする。
 自分はこうなりたいとか、目標がないような。
 理学療法士像がない。
 それはなんとなくでも良いと思う。
 臨床に出て、色んな人に会うとその像は、くっきりしてくると思う。

 私自身も、理学療法士像をなんとなくしか持てていない。
 治療者であることが、一番であると思うし、常に新しい知識を持とうとすること、そこから創造できる理学療法士でありたい。
 目標となるセラピストはたくさんいるし、自分がその人と同じ年になる時には、その人を超えていないといけないと思う。
 それが、理学療法が進歩することだと思う。
 医療は進歩するものだから、知識が昔より得やすくなる。
 だからこそ、後からセラピストになったものは、以前のセラピストを超える必要がある。
 知識が得やすくなったからといって、怠慢になってはいけない。
 もっと上を目指さないといけない。

 大きなことを言っているが、毎日を一歩一歩頑張っていこうと思う。

 色んな事があって、そんなことを考えた1週間でした。

 今日からまた、文献レビュー頑張ります。

2009年11月6日金曜日

後悔しないように計画を

 昨日は、日本理学療法学術集会の締め切り日でした。
 抄録を学会に間に合わす予定で、とった休みが、文献を読む日になるとは。
 結局、研究は間に合わず、今回はエントリーを見送ることになってしまいました。
 計画を立てないといけないなあ。
 計画も、今すぐやることと、後のことを考えて立てるものを分けて考えていかないといけないです。
 やはりテンパってしまうと、計画どころではない自分です。
 あわてず、確実に一つずつ、計画していこう。
 
 計画と言えば、やっと研究の方向性が見えてきたのですが、その方向性のラインには、前の学会発表の時に、声をかけて頂いた先生の研究がありました。
 なのでお勧めの文献はすぐに見つかりました。
 これ学会から帰って、すぐ読んでおけば良かったのに。
 後悔です。
 ちゃんと名刺貰っとけばよかった。
 これも後悔です。
 これも一期一会です。
 出会いを結び付けられなかった感があります。
 まさか自分がそのラインで研究するとは夢にも思っていませんでしたから。
 人との結びつきは必ず自分のプラスに向かいます。
 一期一会を合言葉に積極的にならないといけないと痛感します。
 
 もう少し社交的になろう。
 自分の意見が言えるようになろう。
 良い意味で空気を読まないようになろう。

 最近、研究のことばかりなので、臨床のことも書かないとなと思います。
 自分の居場所はもちろん臨床なので、臨床抜きでは、本末転倒です。
 忙しいけど充実してきたのかな。