書きたいことがたくさんあります。
大学院を修了してからのこの何ヶ月間で自分の考え方が色々変わる。
学ぶことも急激に増えている。
でも色々しんどいので、書くのがしんどい。
でもたくさん自分に残さないといけない思いはある。
ちゃんと覚えていたら、色々と落ち着いてから書こう。
心を緊張から解放したい。
2011年5月25日水曜日
2011年5月3日火曜日
骨盤、股関節の機能特性
最近、臨床で考えていることの一つとして、股関節、骨盤の機能について考えたことをまとめておこうと思います。
股関節や骨盤の機能特性として、水平性や方向性などを認知運動療法ではよくあげられますが、骨盤、股関節というのは下肢を連結させるために足部に対して押しつける力を作る器官でもあるのです。
石井慎一郎先生の話によく出てきますが、ブロックを積み上げたモデルで、股関節が伸展モーメントを作り出し、荷重を接地面に伝える話です。
詳細は石井先生の文献を調べてみて下さい。
そのように考えると、骨盤は荷重を足部へ移す機能があるということです。つまり体幹の重さによる圧を足部へ移動させる機能があるということです。
これは立ち上がりの際を考えると非常に分かりやすくなります。
端座位では、支持面が臀部と足底になります。この際には、体幹の重さによる圧を受ける場所は、ほとんど臀部になります。
そしてこの臀部の圧の移動を作り出しているのが、骨盤、股関節となるのです。
体幹の重さから生じる圧を臀部から徐々に足部へ移動していく特性を骨盤や股関節が担っているのです。
ということは骨盤に求めることは水平性などだけでは、不足してしまうのです。
圧を作り出し、変化させ、それを荷重面に伝えるという機能も必要となるのです。
認知運動療法の課題で、臀部へのクッション課題が行われていることを聞きますが、この機能特性の獲得を目指しているのではないかと最近考えています。
また、股関節の動きと、足底圧との関係性を作るような課題も重要となってくると思います。
自分で治療している感覚だと、立ち上がりがそのような課題で変化すると、歩行時の立脚期にまで変化を及ぼすことが見られます。
これはおそらく、石井先生の言われている股関節が伸展モーメントを作り、荷重を接地面に伝える機能を獲得しているために、歩行にまで影響するのではないかと思います。
小児でも歩行を開始する前には、たくさんの準備をしていきます。
急に歩き出すわけではなく、歩くための機能を他の動作で、徐々に獲得し、それが結び付いた時に歩き出すのではないかと思います。
なので、歩行の準備として必要な機能特性を考えていくことと、歩行のどのような特性が、どの動作に内在しているかを考えていく必要もあるのではないでしょうか。
股関節や骨盤の機能特性として、水平性や方向性などを認知運動療法ではよくあげられますが、骨盤、股関節というのは下肢を連結させるために足部に対して押しつける力を作る器官でもあるのです。
石井慎一郎先生の話によく出てきますが、ブロックを積み上げたモデルで、股関節が伸展モーメントを作り出し、荷重を接地面に伝える話です。
詳細は石井先生の文献を調べてみて下さい。
そのように考えると、骨盤は荷重を足部へ移す機能があるということです。つまり体幹の重さによる圧を足部へ移動させる機能があるということです。
これは立ち上がりの際を考えると非常に分かりやすくなります。
端座位では、支持面が臀部と足底になります。この際には、体幹の重さによる圧を受ける場所は、ほとんど臀部になります。
そしてこの臀部の圧の移動を作り出しているのが、骨盤、股関節となるのです。
体幹の重さから生じる圧を臀部から徐々に足部へ移動していく特性を骨盤や股関節が担っているのです。
ということは骨盤に求めることは水平性などだけでは、不足してしまうのです。
圧を作り出し、変化させ、それを荷重面に伝えるという機能も必要となるのです。
認知運動療法の課題で、臀部へのクッション課題が行われていることを聞きますが、この機能特性の獲得を目指しているのではないかと最近考えています。
また、股関節の動きと、足底圧との関係性を作るような課題も重要となってくると思います。
自分で治療している感覚だと、立ち上がりがそのような課題で変化すると、歩行時の立脚期にまで変化を及ぼすことが見られます。
これはおそらく、石井先生の言われている股関節が伸展モーメントを作り、荷重を接地面に伝える機能を獲得しているために、歩行にまで影響するのではないかと思います。
小児でも歩行を開始する前には、たくさんの準備をしていきます。
急に歩き出すわけではなく、歩くための機能を他の動作で、徐々に獲得し、それが結び付いた時に歩き出すのではないかと思います。
なので、歩行の準備として必要な機能特性を考えていくことと、歩行のどのような特性が、どの動作に内在しているかを考えていく必要もあるのではないでしょうか。
臨床力と研究力
かなり久々に書きます。
この空白の間に色々とあり過ぎて、よく思い出せません。
あまり長い文章を書く気になれなかったということが一つあると思います。
そしてスタンスを急激に変えたということもあるのでしょう。
臨床と研究を両立することの難しさをこの2カ月ぐらいで実感しています。
自分の問題なのだとは思います。
キャパオーバーなのか、ただの怠けなのかは、自分でもよく分かりません。
やはり、臨床にぐっと力を入れようと思うと、研究のことを考える時間は大幅に減ります。
それに疲労感が強い。
こういう風に書くと、ただの言い訳の羅列ですね。
一つの物事を二つの視点で見られるようになっていかないといけないことを感じます。
研究という視点と臨床という視点。
これが両立していく方法なのかもしれません。
自分の研究は、基礎系の研究を考えていますので、なかなか臨床とのギャップはあります。
研究の視点で臨床を見過ぎると偏ってしまうし、臨床の視点で、研究を見るともう少し論点を絞らないといけなくなる。
この二つをまとめる能力は多少の努力では身に付かないのでしょう。
目指すはそれができるセラピストになることです。
とりあえずは、臨床を主体にやるべきことをやっていこうと考えています。
自分がいるのは臨床ですし、自分の臨床を変えていくことが最重要だと考えます。
そのエッセンスとして、自分の研究活動を加えていこうと思います。
ただ、論文化や発表、自分の今持っているアイデアを形にすることは必須です。
臨床力と研究力は似て非なるものだと最近感じます。
素晴らしい研究論文を書いている人が、必ずしも素晴らしい臨床を展開しているというわけではありませんし、素晴らしい臨床を展開している人が、必ずしも素晴らしい研究論文が書けるというわけではありません。
ただ、何が違うのかはっきりは言葉にできる段階ではありません。
臨床力は、対応する力が必要な気がします。
患者さんは一人一人違いがあり、それに対して、対応していかないといけない。
研究は、自分が一つずつ明らかにしていくことに対して、探求し、その筋道を立てていく力が必要な気がします。
よく考えると、どちらも対応する力、筋道を立てていく力は必要です。
そう考えると、人に対してなのか、文献に対してなのかの違いなんでしょうか。
やはり考えてもはっきりとした答えは言葉にできません。
なんとなく、自分の感覚でしか分かりません。
誰か答えを持っておられる方に聞いてみたいです。
はっきりはしていませんが、その似て非なる臨床力と研究力が一つになる時に、また新しい視点が出てくるのだと信じています。
この空白の間に色々とあり過ぎて、よく思い出せません。
あまり長い文章を書く気になれなかったということが一つあると思います。
そしてスタンスを急激に変えたということもあるのでしょう。
臨床と研究を両立することの難しさをこの2カ月ぐらいで実感しています。
自分の問題なのだとは思います。
キャパオーバーなのか、ただの怠けなのかは、自分でもよく分かりません。
やはり、臨床にぐっと力を入れようと思うと、研究のことを考える時間は大幅に減ります。
それに疲労感が強い。
こういう風に書くと、ただの言い訳の羅列ですね。
一つの物事を二つの視点で見られるようになっていかないといけないことを感じます。
研究という視点と臨床という視点。
これが両立していく方法なのかもしれません。
自分の研究は、基礎系の研究を考えていますので、なかなか臨床とのギャップはあります。
研究の視点で臨床を見過ぎると偏ってしまうし、臨床の視点で、研究を見るともう少し論点を絞らないといけなくなる。
この二つをまとめる能力は多少の努力では身に付かないのでしょう。
目指すはそれができるセラピストになることです。
とりあえずは、臨床を主体にやるべきことをやっていこうと考えています。
自分がいるのは臨床ですし、自分の臨床を変えていくことが最重要だと考えます。
そのエッセンスとして、自分の研究活動を加えていこうと思います。
ただ、論文化や発表、自分の今持っているアイデアを形にすることは必須です。
臨床力と研究力は似て非なるものだと最近感じます。
素晴らしい研究論文を書いている人が、必ずしも素晴らしい臨床を展開しているというわけではありませんし、素晴らしい臨床を展開している人が、必ずしも素晴らしい研究論文が書けるというわけではありません。
ただ、何が違うのかはっきりは言葉にできる段階ではありません。
臨床力は、対応する力が必要な気がします。
患者さんは一人一人違いがあり、それに対して、対応していかないといけない。
研究は、自分が一つずつ明らかにしていくことに対して、探求し、その筋道を立てていく力が必要な気がします。
よく考えると、どちらも対応する力、筋道を立てていく力は必要です。
そう考えると、人に対してなのか、文献に対してなのかの違いなんでしょうか。
やはり考えてもはっきりとした答えは言葉にできません。
なんとなく、自分の感覚でしか分かりません。
誰か答えを持っておられる方に聞いてみたいです。
はっきりはしていませんが、その似て非なる臨床力と研究力が一つになる時に、また新しい視点が出てくるのだと信じています。
2011年2月26日土曜日
スタンス
修士論文を提出し、研究室内での発表会があり、審査を受け、一段落つきました。
と思ったら、補助講師のお手伝い。
大きな勉強会で、セラピストの方々を対象とした勉強会の補助講師なんて、人生初です。
この1年間ぐらい臨床で考えてきたことを整理していく作業をしないといけないと考えています。
整理すると同時に文献とすりあわせていく作業をしていかないといけないです。
そして、もう一度患者さん一人一人と向き合うスタンスを取りたいと思います。
正直な所、院での生活が中心となってしまい、自分の力を研究にそそぎ過ぎていた感はありますし、そうしないとやっていけない部分がありました。
自分の原点は臨床ですし、どのような疾患でも、どのような場合においても諦めずに、患者さんを治療していく、少しでも今の状態よりも良い状態に変化してもらうことを目標にして、手を抜かずに、一つずつ解決していくスタンスをとっていました。
もう一度その気持ちに戻って、死ぬ気で患者さんと向き合わないといけないと思います。
そして、研究でも修士で行ったテーマは自分のやらないといけないものとなっています。
このテーマは明らかにしていく必要がありますし、発信していく必要があると強く感じます。
責任を持って、進めたいと思います。
臨床に、研究に、そして教育に。
中枢疾患に、整形疾患に、代謝系疾患に。
運動障害に、意識障害に、高次脳機能障害に、痛みに、さらに言えば、めまい。
私のやらないといけないことは広がり過ぎた感があります。
自分自身、立ち位置を決めないといけないのではと考えていましたが、そうではないということに至りました。
自分の原点は目の前のことに向き合うということにあり、それを解決したいという欲求に純粋に向き合うこと、良くしたいという欲求に向き合うことが自分の立ち位置になると考えました。
だから、自分が臨床だとか研究だとか教育だとかは考えないし、疾患でも純粋に目の前にいる人の疾患について、解決していくように学んで行きたい。
立ち位置は決めないし、その都度、変わっていっても良いと思うし、それが自分のスタンスにしていきたい。
真摯にすべての現象に向き合うことを忘れないで、何事にも諦めないで立ち向かうことをしていきたい。
今年の大きな目標は今の知識で、セラピストの初心に変えること。
そして、さらに経験と知識をつけていくことにしようと思う。
それを自分の中だけでは蓄えず、外に伝えていくこともしていくことにしよう。
知らない間にそのような状況に立っている自分がいる。
それにまだ、気付けていなかった。
セラピストとしてはまだまだ経験が足りないが、もっと伝えていくこともしないといけない。
それも真摯に向き合っていきたい。
これからセラピスト人生、エンジンを積みかえないとやっていけない予感がする。
自分のエンジンで、そこまでできるか不安だが、やれるだけやっていこう。
と思ったら、補助講師のお手伝い。
大きな勉強会で、セラピストの方々を対象とした勉強会の補助講師なんて、人生初です。
この1年間ぐらい臨床で考えてきたことを整理していく作業をしないといけないと考えています。
整理すると同時に文献とすりあわせていく作業をしていかないといけないです。
そして、もう一度患者さん一人一人と向き合うスタンスを取りたいと思います。
正直な所、院での生活が中心となってしまい、自分の力を研究にそそぎ過ぎていた感はありますし、そうしないとやっていけない部分がありました。
自分の原点は臨床ですし、どのような疾患でも、どのような場合においても諦めずに、患者さんを治療していく、少しでも今の状態よりも良い状態に変化してもらうことを目標にして、手を抜かずに、一つずつ解決していくスタンスをとっていました。
もう一度その気持ちに戻って、死ぬ気で患者さんと向き合わないといけないと思います。
そして、研究でも修士で行ったテーマは自分のやらないといけないものとなっています。
このテーマは明らかにしていく必要がありますし、発信していく必要があると強く感じます。
責任を持って、進めたいと思います。
臨床に、研究に、そして教育に。
中枢疾患に、整形疾患に、代謝系疾患に。
運動障害に、意識障害に、高次脳機能障害に、痛みに、さらに言えば、めまい。
私のやらないといけないことは広がり過ぎた感があります。
自分自身、立ち位置を決めないといけないのではと考えていましたが、そうではないということに至りました。
自分の原点は目の前のことに向き合うということにあり、それを解決したいという欲求に純粋に向き合うこと、良くしたいという欲求に向き合うことが自分の立ち位置になると考えました。
だから、自分が臨床だとか研究だとか教育だとかは考えないし、疾患でも純粋に目の前にいる人の疾患について、解決していくように学んで行きたい。
立ち位置は決めないし、その都度、変わっていっても良いと思うし、それが自分のスタンスにしていきたい。
真摯にすべての現象に向き合うことを忘れないで、何事にも諦めないで立ち向かうことをしていきたい。
今年の大きな目標は今の知識で、セラピストの初心に変えること。
そして、さらに経験と知識をつけていくことにしようと思う。
それを自分の中だけでは蓄えず、外に伝えていくこともしていくことにしよう。
知らない間にそのような状況に立っている自分がいる。
それにまだ、気付けていなかった。
セラピストとしてはまだまだ経験が足りないが、もっと伝えていくこともしないといけない。
それも真摯に向き合っていきたい。
これからセラピスト人生、エンジンを積みかえないとやっていけない予感がする。
自分のエンジンで、そこまでできるか不安だが、やれるだけやっていこう。
2011年1月12日水曜日
修士論文提出
本日、修士論文を提出してきました。
やっと年が明けた感覚がします。
ずっと論文作業に重点を置かざるを得なかったので、少し辛かったです。
その分、自分の力になったと思います。
1年前の自分とは確実に違います。
新しい研究も考えつきました。
これが明らかになれば、臨床応用できるはずです。
概念を臨床応用できるようにしたいと思います。
一つの方法論が提起できたとしても、応用が利かないと意味がないような気がします。
論理的な思考の中に組み込めるような、独立していない概念を臨床に組み込めるようにしたい。
少し壮大ですが、明らかにしたいことが明らかにできそうなので、頑張ってみようと思います。
その前に、口頭試問を受ける準備をしないといけません。
明日から頑張ります。
今年の目標は、壮大な計画を進めること、自分の今までの研究を外へ表出していくことです。
それに加えて、今まで蓄積していたものを少しずつ臨床へ還元できたらなと思います。
今年はエンジン全開です。
止まらないように走り続けよう。
やっと年が明けた感覚がします。
ずっと論文作業に重点を置かざるを得なかったので、少し辛かったです。
その分、自分の力になったと思います。
1年前の自分とは確実に違います。
新しい研究も考えつきました。
これが明らかになれば、臨床応用できるはずです。
概念を臨床応用できるようにしたいと思います。
一つの方法論が提起できたとしても、応用が利かないと意味がないような気がします。
論理的な思考の中に組み込めるような、独立していない概念を臨床に組み込めるようにしたい。
少し壮大ですが、明らかにしたいことが明らかにできそうなので、頑張ってみようと思います。
その前に、口頭試問を受ける準備をしないといけません。
明日から頑張ります。
今年の目標は、壮大な計画を進めること、自分の今までの研究を外へ表出していくことです。
それに加えて、今まで蓄積していたものを少しずつ臨床へ還元できたらなと思います。
今年はエンジン全開です。
止まらないように走り続けよう。
2010年12月30日木曜日
一瞬の出来事
もう少しで一年が終わります。
あっという間に12月。
今年は怒涛の一年でした。
まぁ、振り返ってみれば、自分と向き合うことしかしてません。
学会には一つの演題も出していませんし、勉強会もアウトプットしていません。
今年は研究の年だったような気がします。
寝ても覚めてもというのはこういうことかと思います。
この感じが臨床に活きていけば良いと思います。
後は結果を出すだけ、今まで学んだことを外に出していこう。
そして、フィードバックして、また自分の糧にしよう。
あっという間に12月。
今年は怒涛の一年でした。
まぁ、振り返ってみれば、自分と向き合うことしかしてません。
学会には一つの演題も出していませんし、勉強会もアウトプットしていません。
今年は研究の年だったような気がします。
寝ても覚めてもというのはこういうことかと思います。
この感じが臨床に活きていけば良いと思います。
後は結果を出すだけ、今まで学んだことを外に出していこう。
そして、フィードバックして、また自分の糧にしよう。
2010年12月26日日曜日
自分のやったことを振り返れる
久しぶりにブログを更新します。
書きたいことは山程ありますが、向き合わないといけないものが大き過ぎて、書く気になりませんでした。
修士論文追い込みです。
こんなに寝ない時間が今まで生きてきた中であったかと思う程寝てません。
実習の時でも寝てたのに、こんなになるとは想像もできませんでした。
考察が全く進みません。
知識が少ないことに気づかされます。
物事を説明するためには多面的な見方、知識が必要だと痛感します。
臨床も同じだと感じます。
一つの物の見方では頭打ちしてしまう。
一つの目的に向かって、多面的に見てこそ、目的を達成できる。
目的を変えてしまえば、達成されないでしょう。
いかに柔軟に対応するか、いかに自分の目的を曲げないか。
芯を通さないと、柔軟性は意味を持たないと思います。
真っ直ぐだけど、グニャグニャな考え方になって行けたらなと思います。
早く今の状況から抜け出したい。
後になったらどうもないことなんでしょうけど。
もっとこうしとけば良かったと思うんでしょうけど。
実習で担当した学生さんに、気付かされました。
過去を振り返れるから、成長できる。
でもその時にがむしゃらでもしっかり向き合ったから、過去になった時に、振り返れるんだなと。
その学生さんは、実習中に書いたレポートを読んで、こりゃ分かりにくいと思ったと言ってました。
そうしたら次にどうしたらいいか分かったような気がしたと言ってました。
成長できるんだろうなとその言葉を聞いて思いました。
私はレポートを書かないでもいいと思ってましたが、レポートは一つの振り返る方法だなと感じました。
まとまってませんね。
私の頭と同じ状態です。
後で振り返って、駄目だったな、もう少しこうすれば良かったなと思えるように、自分のやったことを振り返れるように、しっかり向き合うようにします。
書きたいことは山程ありますが、向き合わないといけないものが大き過ぎて、書く気になりませんでした。
修士論文追い込みです。
こんなに寝ない時間が今まで生きてきた中であったかと思う程寝てません。
実習の時でも寝てたのに、こんなになるとは想像もできませんでした。
考察が全く進みません。
知識が少ないことに気づかされます。
物事を説明するためには多面的な見方、知識が必要だと痛感します。
臨床も同じだと感じます。
一つの物の見方では頭打ちしてしまう。
一つの目的に向かって、多面的に見てこそ、目的を達成できる。
目的を変えてしまえば、達成されないでしょう。
いかに柔軟に対応するか、いかに自分の目的を曲げないか。
芯を通さないと、柔軟性は意味を持たないと思います。
真っ直ぐだけど、グニャグニャな考え方になって行けたらなと思います。
早く今の状況から抜け出したい。
後になったらどうもないことなんでしょうけど。
もっとこうしとけば良かったと思うんでしょうけど。
実習で担当した学生さんに、気付かされました。
過去を振り返れるから、成長できる。
でもその時にがむしゃらでもしっかり向き合ったから、過去になった時に、振り返れるんだなと。
その学生さんは、実習中に書いたレポートを読んで、こりゃ分かりにくいと思ったと言ってました。
そうしたら次にどうしたらいいか分かったような気がしたと言ってました。
成長できるんだろうなとその言葉を聞いて思いました。
私はレポートを書かないでもいいと思ってましたが、レポートは一つの振り返る方法だなと感じました。
まとまってませんね。
私の頭と同じ状態です。
後で振り返って、駄目だったな、もう少しこうすれば良かったなと思えるように、自分のやったことを振り返れるように、しっかり向き合うようにします。
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