以前同様のテーマでブログを書いてから、どのようにすれば、考えていましたが、少し広がりが出てきました。
臨床と研究、教育というものは、三本柱だと言われ、自分もそうだと感じていました。
しかし、自分が感じていた臨床、研究、教育と言うものは、臨床の立場から見たものだと気付きました。
実は臨床にも臨床から見た臨床があり、研究から見た臨床がある。そして、教育から見た臨床がある。
自分は臨床にいるためにほとんどを臨床からしか見られていませんが、臨床の切り口でも、研究視点から見ることができます。
臨床研究というのは、それに当てはまるように思います。グループ化したり、トレーニングを系統立てたり、それの効果を検証していく。
大きな枠組みで、効果を検証していくと言った印象です。
臨床家による臨床は少し様相が違ってくるように思います。患者さんや利用者さん一人一人の病態をみて、それに対して仮説を立て、治療を検証していく。
より、個別性が強いと思います。
研究にするのであれば、シングルケースとなるのでしょう。
シングルケースをたくさん考察していき、シングルケース同士を比較していく。
このような研究が臨床家による研究なのでしょうか。
こんな論文が出てくるとワクワクするのではないでしょうか。
勿論、臨床研究のようなグループごとの研究も必要でしょうが、それだけでは、本当のリハビリテーションの極意は表現できないように思います。
直接とらえると、これすれば、みんなが良い方向に行きますよと言うことになる。
それって違うのではないかと私は感じます。
これからはシングルケースを科学的に示していく時代になるのではないかと思います。
一つの研究の価値と一つのシングルケーススタディーの価値が対等になる時代になればいいなあと思います。
基礎的な研究も臨床の仮説をより進化させたり、証明するためには必要な研究です。これは研究中の研究というのでしょうか。
ここを考えていくことでも、リハビリテーションを前へ進めていけるのではないでしょうか。
教育に関しては、全く無知です。臨床で、実習生を教えるくらいしか、私はしたことがないので、何とも言えませんが、おそらく場所や立場によって、教育の仕方は変わるのではないかと思います。
このように、臨床の中でも様々な考え、研究でも、教育でもそのように様々に細分化できるように思います。
それぞれが大切で、順番を決められないですが、自分の立ち位置を知ることが重要に思います。
自分は臨床家と言う立場から研究をしていくのか、研究者としての立場から臨床をしていくのかでは大きな違いがあります。
人は思考をそれによって、変化していくことができますが、本当の核となる所は変えられません。
いくら器用な人でも、使い分けはなかなか難しいでしょう。
なので、自分の核がどこにあるのかを知らないといけないように感じます。
そうすれば、自分をある程度制御できるのではないかと思います。
これを間違えれば、とんでもないことになってしまいます。
私は修士で研究が知らない間にメインになっていたため、知らない間に、臨床家の臨床というものを失いかけていました。
どうしても当てはめようとしてしまう。
自分の研究と結び付けたり、知見と結び付けようとしてしまっていました。
純粋に今ある、現在起きている現象というものをとらえることが難しくなっていました。
自分が未熟だからそうなのかもしれません。
真の研究者というのは、臨床も見られてしまうのかもしれないかもしれませんが。
だから自分は臨床は純粋に現象を見て、とらえて、じっくり患者さんと向き合おうと思いました。
臨床は臨床のスキルが必要となるのです。
研究は研究で綿密な組み立てが重要となります。
一つのことをとことん追求し、一つずつ詰めていく作業が必要となります。
飛躍し過ぎない。
これも純粋に現象を解釈しないといけません。
なんか話してると似てる気がしますが、スキルとしては全く違うように感じます。
私はまだ真髄が分かりませんが、「研究は1つの物事を明らかにしていく過程であり、臨床は一つの物事を多面的に解釈していく過程」だと教しえて頂きました。
これが、正しいのかどうかはまだ答えが出ていません。
今の自分に言えることは自分の核の考えを知ること、つまり、立ち位置を知ることが、臨床と研究の両方をとらえていくための一つの過程になるのではないかと思いました。
今の私には研究と臨床を全く別物としてとらえていくことしかできません。
別れることで、新しいものが生まれることに期待しています。
研究と臨床の両方を中間的にやっていくと言うことは二つのことをバランスよくやることとは、また違うように感じます。
早くその世界を見てみたいです。