2010年2月15日月曜日

個人と集団を見る2

 今日は大学院の課題で、統計の勉強。
 統計を知ることは大切だと思う。
 エビデンスと言われているものも統計学上のものである。
 集団と集団の違いを見ている。
 個人の特性をできるだけ少なくして、集団としての特性を見るために用いるものだ。
 有意差があり、2つの集団が違うと言えても、集団のすべてのものに違いがあるとは言えない。
 あくまで、選択肢としか考えられない。
 結局はセラピストが判断して治療する。
 そこにエビデンスはない。
 臨床がある。
 臨床は個人に対して施行していくものである。
 ただ、集団の効果を示すべき必要はある。
 それに集団で見た時に見えるものもある。
 エビデンスがなければ、作ればいいのでは。と最近思う。
 調べられていないものはエビデンスがないのではない。
 まだエビデンスとして出ていないだけである。
 エビデンスがないものとは有意差が出ていないものである。
 調査されていないものは調査すべき対象である。
 集団であるエビデンスと個人である臨床をつなぐことは簡単なようで難しい。
 
 言語の質的研究をしている文献を読んで、後輩と話していたが、やはり質的研究も個人の要素を極力少なくし、その集団の特性を出すものである。
 個人はデータ化すると排除される。
 ただ、集団を見ないと何が何か分からなくなる。
 道筋とでもいうものなのかもしれない。
 それは地図のようなものか。
 地図だけでは実際には上手に歩けない。
 実際に歩いた時に見えるものがたくさんある。
 小さな裏道であったり、隠れた名店。
 患者さんも同じかも。
 エビデンスは大きな道筋は分かるけど、実際に治療してみないと詳細は分からない。

 目の前に店があるのに、地図に載ってないから店がないとは誰も言わない。
 

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