2011年7月18日月曜日

臨床での教育のあり方

 この前に実習生の指導のことで少しだけ相談にのらせてもらいました。
 話している間に、自分の臨床実習指導に対する以前の考え方と今の考え方に違いがあることに、気付かされました。
 臨床指導する際によくレポートを用いられますが、レポートを指導する際に、なんだが、レポートというテストに学生さんが解答していて、それの答え合わせをしているような錯覚に陥ります。
 これだと、バイザーの指導、つまりレポートの修正がすべて正しいようなことになってしまうように思います。
 よく、このようなケースで思うことは、自分の考え方を全部押しつけてしまって、学生さんの考えが出てこないとか、言ったのに直らないということに陥ってしまいます。

 まず前者では、レポートをテストのように考えてしまうことに問題があります。
 レポートがテストであれば、バイザーが持っている考え方のみが答えになってしまい、どうしてもバイザー自体がその方向に誘導せざる得なくなってしまいます。
 そうすれば、学生さんの考え方を導くことは難しくなってしまいます。
 また、逆に学生さんの意見を尊重し過ぎると、バイザーの考え方と違う方向に行ってしまい、バイザーは治療に口を出せずに、放棄した形になる。
 これは確実にバイザーが自分で答えを持っていることに問題があり、レポートを一つの問題、テストとしてとらえていることに最大の原因があるように思います。
 
 また後者でも、レポートを問題、テストとしてとらえていることに問題があります。
 バイザーは答えを持っていて、その答えに行き着くように誘導していきますが、その過程を学生さんは同じようにふんでいないのです。
 一つの問題点を出してくる時にでも、確実に思考過程はセラピストの方がより多い過程を通ってきています。
 だから学生さんのレポートに書けていないことは、その思考過程をふんでいないことになります。
 その思考過程を一緒に考えずに、テストの解答のように物事を言ってしまっても、学生さんは意味が理解できません。
 意味が分からないと記憶に残りませんし、なぜ、バイザーがそのことを強調するか、全く分かりません。
 そして、解答を作る時、つまりレポートを作成する際に、バイザーの意図通りに直せない、もしくは、加えてこないことが生じるのです。
 しかも症例患者レポートの場合、一つ一つの問題ではなく、たくさんの問題がすべて、まとまった形になり、治療に結びつけないといけません。
 その過程にはたくさんの思考過程がともないます。
 そうなると一つ道を間違えば、とんでもなくバイザーとかけ離れた解答になるのです。

 この二つの問題は、確実にレポートをテスト化していることに共通しています。
 それは意識的ではないにしろ、潜在的にあるものなのでしょう。
 実際にレポートが出来ない者の理由としては、バイザーの考え方と合わないレポートを作成していることが多いように感じます。
 
 そもそもレポートとは考え方を具現化し、それに対して、バイザーの考え方を加えながら、より患者さんの治療に役立てると言うものです。
 だから解答などないはずです。
 セラピスト自体の持っている解答もやはり、仮説であり、間違えもあり、正解もあり、そして、より詳細を知る必要がある部分もあるはずです。
 また、見落としている部分もあるでしょう。
 そうなると、このようなテスト型レポートでは全く役に立ちません。
 逆に、バイザーもレポートを書いてくる必要があるでしょう。
 それをお互い見せあい、統合していくことこそが、患者さんの治療に繋がっていくことになるのではないでしょうか。
 そうすれば、思考過程の手順もより学生さんは分かります。

 ただ、それはセラピストにとって、非常に大変な労力が必要となるでしょう。
 そんな回りくどいことをしなくても、評価しながら、治療しながら、患者さんを共に診ることができるのではないでしょうか。
 治療の仮説を吟味する場所はその場所にありますし、すぐに評価できます。
 そして、正しい解答がないのであれば、まずは自分のセラピストとしての経験から導かれる思考過程を学生さんに伝える必要があります。
 学生さんの思考過程は決して多くの数を踏んでいません。
 そのようにセラピストが思考過程の数の多さを示すことがまずは、学生さんの成長に結び付けられるのではないでしょうか。
 そして、なぜその思考過程に至ったかを話すべきではないでしょうか。
 そうすることによって、学生さんはある一定の思考方法が分かります。
 しかも臨床の場で、身体で感じることができる。
 身体で感じたことと、思考の過程を指導されることによって、学生さんは、理学療法の思考過程を学習することができる。
 そうすれば、レポートに書きなさいと言ったことが書かれないということはない。
 思考と、実際の行為がマッチングしていて、意味も理解できるから。
 しかもバイザーの思考過程を学んでいくうちに、自発的にバイザーと同じ見方をしながら、違うことも見つけられるようになる。
 それは学生さんが、バイザーとは違った経験をしていますし、しかも固定概念がないことから新しい視点が得られる。
 それをバイザーが経験から解釈し、学生さんと話し合うことで、新たな問題点や治療の進め方が生じる。
 そうすれば、お互いが治療に対しての解答を出していき、ディスカッションになるのではないでしょうか。

 私が言いたかったことは、学生さんと共に学んでいくこと、治療していくことの大切さです。
 学生さんが自分と同じ考えにならないのは当たり前のことです。
 だからこそ、場数を踏んだ者が、語らなければ、学生さんは、分かりません。
 だから、まずは、自分の経験をすべて伝える必要があるのです。
 でも、それは決して正しい答えではありません。
 正しい答えは結果でしか言えません。
 だからないと言って等しいのです。
 
 すべてバイザーが伝えた上で、学生さんがさらに考える。
 そして、バイザーがさらに考え、治療に反映していくことで、どちらも成長でき、患者さんもより改善に向けられるように思います。

 だから私は、いつも学生さんに、
 「患者さんのことを見させてもらうのだから、患者さんのプラスになるように自分は考えないといけないのですよ。だから一緒に考えて、気付いたことを話し合おう。」
 と言います。

2 件のコメント:

あちゃん さんのコメント...

今晩は。
Twitterから来ました!
私は学生です。そして、
まだ実習にいった経験がないので
リアルな反応はできませんが 、
高木先生が言うように、一緒に考えて、
気付いたことをお互いに言うことができて、
学生の考えを受け止めてくれる
そんなスタイルの先生なら、
多くの先輩方が言ってきた、辛い実習も
絶対に楽しくて、強く印象に残って、
濃い経験になると思います。
私は、そんな先生に巡り合いたいと
ずっと思っています。
ブログを読んで、もっと知識を増やして、
たくさん先生と
ディスカッションをしたいと強く思いました。
ありがとうございます!

高木 泰宏 さんのコメント...

コメントありがとうございます。
実習は生の患者さんを診るので、辛いこともあるでしょう。でも患者さんに関わることで、共感が生まれるのではないかと思います。
学校の勉強を真面目に受け、遊ぶ時は、しっかり遊んで下さい。そして、勉強にしろ、遊びにしろ、全力でして下さい。
すべての経験が、リハビリテーションに活きる可能性があります。だから勉強だけでなく、色々なことを楽しんで下さい。