感覚と言う言葉を聞いてどのようなことを連想しますか?
一般的に理学療法士や作業療法士が行っているような手や足を触ったり、関節を動かしたりする感覚検査を思い浮かべますか?
ふだん私達が、使用している「感覚」という言葉は、それだけで説明できるのでしょうか?
例えば、自分が新しい運動や新しいスキルを練習している時に感じる「感覚」っていうのは、感覚ではないのでしょうか?
もう一度あの感覚を経験したいというのは、感覚ではないのでしょうか?
セラピストは、感覚=感覚検査になってはいないでしょうか?
一般的な感覚が失われているような気がします。
セラピストの中の統一された言語の枠組みだけで考えていないでしょうか。
確かに専門用語は大切ですが、先入観で物事を見ていないかなと思います。
ちなみに感覚検査ではなく、教科書には知覚検査と表記されています。
知覚ももっと運動のように細かくわけていけないのでしょうか?
知覚検査と言われているものは、あまり能動的とは言えないように思います。
能動的というのは、積極的に思考するということです。
運動すること、動くこととは別です。
例えば、2つの中に違いを見つけることや予想することです。
また、運動が伴う場合の感覚はどうでしょうか。
感覚検査と同じ感じ方にならないと思います。
そうやって感覚というものを細かく分けていくと、運動に近づいてくるような気がします。
感覚という言葉に騙されているのかもしれません。
それは今までの固定概念や先入観のせいだと思います。
もう一度、意味を考えないといけないと思いました。
とこのような話を後輩と話していました。
先入観とか固定概念は崩さないといけないと思います。
一つの考え方から抜け出すというのは凄く難しいことだと思います。
私も一つの考え方からこのように考えています。
常に違う視点からも考える必要がある。
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