2009年7月7日火曜日

必要な思考

 なんとか無事学会発表が終了。
 今回のポスターも残念ながら意図が伝わらなかった。
 人に伝えるということは難しいと思い知らされました。
 反省点は色々ありますが、もっと端的に言いたいことをピックアップしないといけないということが一番でしょうか。

 学会の方は、興味深い内容でした。
 患者と話すということが大切。
 ただ、話すだけでなく、治療に役立てるということです。
 患者さんを知るため、導くために話すことが必要であると共に、話すことによってセラピストの思考も変化する必要があるという視点は、納得です。
 主観と客観、1人称と3人称、外部観察と内部観察は繋がってこそ意味がある。
 どちらだけでは意味がない。
 勉強でも今までのことを全て知る必要がある。
 歴史を踏まえた上で、前へ進まないといけない。

 患者さんの言語に注目し、順序立てて、今までの思考を考え直し、批判し、思考を新たに展開していくイタリアの研究方法は素晴らしいと思う。
 見習わないといけない。
 自分を批判的に吟味するということは非常に難しい。
 どうしても物事を一方向からしか見ることができなくなってしまう。
 自分を客観視できることが必要だ。
 研究計画もその通りだと思う。
 批判的吟味、共感この2つが必要だと思う。

 またモチベーションが上がってきました。頑張ります。

2 件のコメント:

れいこ さんのコメント...

あのね、患者さんから言葉を引き出そうとしているね??
勝手に話してくれるでしょうか。
もし貴方が、病院に行ったとしましょう。
たかが風邪でも貴方はじょうずに状況を話せますか??
昨日のいつごろからこういう症状が出て・・・・
きっといえないと思います。
だから、こちらがいろんな質問事項を用意するのです。
相手から引き出すのはこちらが沢山のボキャブラリーを持っておく必要があります。

それはね・・・・
よく評価の授業とかで、患者さんが入ってきた時点で評価が始まっているって言いますよね。
まさにそうなんです。
そこから動作分析により、どこが悪いのか大体見当がつきます。

そこから、問診が始まりその方にあった評価項目が生まれます。
まず評価です。
主観的客観的そしてそれを統合と解釈するのです。
実習ではやっていましたよね。
私も世に何十人かの学生さんを送りました。
バイザーをやっていろいろ気がつくことが多かったです。
だから臨床から、幅が広がる出なく、
教える立場で幅が広がったように思います。

患者さんを治そうと思うのは当たり前ですが、
そればかりにとらわれていると失敗します。
まず評価事項に対してそのサインを取り除くと言うことが大切です。

また細かいことは、私の考えで悪いですが、意見させてくださいね。

高木 泰宏 さんのコメント...

コメントありがとうございます。
私の言葉足らずな部分がたくさんあったようです。
動作分析し、身体的にどのような状態であるか評価することは私も行って当然のことだと考えています。
それをしなければ、何を治療していくかをはっきりさせられないので、れいこさんの言われる通りだと、私も考えています。
外部の評価だけでは、患者さんを治療していけないと私は思います。
ただ、完全に患者さんを診られていないと臨床で良く感じます。
その際は、再度評価し、仮説を立て、検証していくように心がけています。
私のいう主観とは、患者さんが訴える病状ではなく、運動をどのように感じているかを分析することにあります。
私はそれも評価だと考えています。
患者さんの声を聞くと、身体の裏に潜んでいる問題が浮き上がってくることを経験します。
荷重時に足の指がイメージできない患者さんや体幹が側屈しているにも関わらず、まっすぐに立っているという患者さん。
主観を聞くことによって、患者さんがどのように運動をとらえているか、一部ですが、理解できると思います。
その主観と外部観察とを評価し、分析し、仮説を立て、検証していこうと思っています。
言葉を引き出すことですが、どのようなことを引き出そうとしているかは、ある程度道筋を立て、聞いているつもりです。
認知運動療法という考え方を勉強していまして、その評価の方法を元に行っていっています。
また、主訴なども非常に大切だと思いますので、教科書に載っているような問診も併せておこなわなけれはならないと思います。
回りくどくなってしまいましたが、私の考え方を知って頂きたく、コメントさせてもらいました。
たしかに評価、解釈、仮説、検証、治療という手順の抜けがあったと思います。
当たり前のことを当たり前にすることが非常に難しいと感じます。
その手順を忘れないように臨床を展開していこうと思います。
コメントありがとうございました。
長々とすいません。