2009年12月16日水曜日

分からない時は、どこまで分かっているか考えることが近道です

「分からないと言うことは簡単だが、どこまでが分からないのか、どこまでが分かるのかを考えろ。全部分からないわけではないだろ。」
 私が実習に行った時にバイザーに言われた言葉です。
 1年目の新人さんと話していた時に、この言葉を思い出した。
 分かるということは、分けるということである。
 何かと何かの違いを分けることができること。
 ただ、分かるということは、すべてを分けるということにはいかない。
 ある一定の範囲が分けられるようになった時に分かったと感じるのだと思う。
 だから知識にしろ運動にしろ分かる部分があれば、分からない部分があるのだと思う。
 理学療法も同じだと思う。
 分からないことを分からないと言ってしまうと、その分かる部分がすべてなくなってしまう。
 実はある範囲まで分かっていて、思考ができるのに。
 分からないって言ってしまうことは、楽である。
 思考を停止して、人に聞けばいいだけ。
 受け身だ。
 分かる部分が分かるからこそ、分からない部分を知ろうとするのだと思う。
 私はバイザーにそういうことを教えてもらったのだと感じた。
 新人さんも分かることを積み上げて欲しいと思う。
 人に聞いても分からない。
 それは自分の経験ではない。
 自分の分かることと組み合さないといけない。
 思考することを停止してはいけないと思う。
 患者さんにも言われました。
 「先生の言っていることに分からないことがある時があって、自分なりにどういうことか考えてみて、身体を動かしています。その時に先生が言ってたことはこういうことだったのかなって思う。」
 私の指導、援助の仕方が足りないせいで、患者さんが理解できないということが生じてしまっています。
 もっと分かりやすく、教えられるように努力したいと思います。
 私が言いたいのは、患者さんも分かる部分と分からない部分を結び付けることをしているのだということです。

 何かを学習するということは、分かることと分からないことを結びつけて、つなげることのような気がします。
 私も分からないことをもう一度考え直していこうと思います。

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